観劇日記

観たものの忘備録的感想

私の観ている『天は赤い河のほとり』。

 

原作漫画に出会ったのが約20年前。その時から大ファンでした。


宝塚にハマる前は主に二次元作品界隈(漫画とかアニメとか)で楽しくオタク活動をしていた私ですが、この作品に関してはいわゆる「原作ヲタ」という感覚ではなくて…
純粋に、作品に出会った時から今まで、ずーっと事あるごとに読んできたホーム的な漫画という感じです。約20年分の思い入れがあります。
そんな慣れ親しんだ世界に、十数年ぶりに新しい要素(舞台化)が加わる事になって。
しかもそれが大好きな宝塚で。
嬉しかったり、ちょっぴり複雑だったり、でも結局原作も宝塚版も好きだと思っているひとの、深夜の語りです。


自分の気持ちの忘備録として。

 


※漫画版・宝塚版両方の内容に触れています。
少しでもネタバレを避けたい方はお気をつけください。


※最初の方はひたすら原作との思い出をメモしているので、舞台については少し先まで読み飛ばして下さい。

 

 

 


「はじめて連載を追いかけた漫画」を覚えている人って、どのくらいいるのでしょうか。
漫画『天は赤い河のほとり』は、私が生まれて初めて定期的に漫画雑誌を読むきっかけになった作品でした。


連載中、まだ小学生だった当時。誰が持ち込んだのか、家に『天は赤い河のほとり』のコミックス1〜13巻がありました。なんとなく目について13巻を手に取ったのが出会いでした。
今でも覚えています、13巻の表紙を見て最初に思った事は「この女の子パンツみえてるよ!?」でした(笑)真面目な子供でした。
そして真面目な私はちゃんと1巻から読み進めたのでした。


今思えば、当時の自分が読むにはいささか肌色が多めだったのでは…とも思うのですが、幼かったからか逆に気になりませんでした。
すぐにストーリーや世界観、キャラクター達が大好きになり、のめり込むように読みました。
そして、当時の最新刊だった13巻にたどり着いたのです。

 


13巻がどこで終わるか知っていますか。
ユーリとカイルは今生の別れを告げて、それぞれ別の戦場に。
さらに、日本に帰るためハットゥサへ急ぐユーリ。
一方、ラムセスに射抜かれるカイル。


…ちょっと待って、ユーリ帰って終わりなの?カイルは死ぬの??ユーリ帰っちゃったらカイル死んでもわかんなくない??続きをください!!!


ってなりました。
今でも覚えている、強烈な感覚でした。

 


当時、この作品は『少女コミック』(※現sho-comi)という雑誌で連載されており、比較的大人向けの漫画雑誌だったため、同年代の友達の中には読んでいる子はおらず。
どうしようかと思っていたら、身内の大人で読んでいる方がいた(コミックスを持ち込んだ張本人)ので、続きを読ませてもらいました。しかも数ヶ月分溜め込んでくれていたので無事にコミックスの続きから読めました。よかったユーリとカイルが再会できて。


その方は、その後も本誌を自由に読ませてくれました。時には発売日に一緒に買いに行ったり。楽しかった。そうやって一緒に楽しんでくれる大人がいたというのも大きかったです。ルサファが"炎夏の秤"にかけられた時、どうやって脱出するかを次の号が出るまであーだこーだ推理しあったのは良い思い出。

 


そんなこんなで、毎月2回の『少女コミック』発売日を心待ちにする人間が出来上がったのでした。
私にとって、はじめて、漫画雑誌で物語を追いかけるという事をした日々でした。

 


そして当時きっとヒットしていたのだろう本作は、親戚達のお家にもあったりして、大人達だけで騒いでいてヒマな時など個室にこもってひとりでこのコミックスを読んでいるような場面も何度かありました。
(たいていこの「天は赤い河のほとり」と、「有閑倶楽部」と、「BANANA FISH」のどれかは誰の家にもあった気がします。私の周りだけなのか。類友なのか。)


そして自分の家でも、読みたくなったらまた読んで。何度読んでも面白かった。成長するにつれ、自分の感じ方が変わるというのもあったのかもしれません。今でも1〜2年に1度、読んでしまいます。そしてその度に、やっぱり面白いなと思うのです。

 


幼少期に好きになった物語というのは、それにまつわる数々の思い出と一緒に、心の何処かにいつもそっと置かれているような感じです。
私にとってこの作品はそういうものでした。中高生の頃にハマった漫画達とか、友人と萌えを語り明かした漫画達とは少し違う位置付けです。
ある種ノスタルジーに似た感覚があり、この漫画に関わる人生のあらゆる場面の記憶と一緒に、大事に心に置いていました。

 


そして時は流れて2018年。ツイッターで流れてきたニュースで、宝塚での舞台化のニュースを知りました。その時のツイートがこちら。

 


2017/8/22  
うぐおおおおおお『天は赤い河のほとり』は私のバイブルなんだよおおおおおお!!!心の!!聖書!!!Bible!!!!好きすぎて特別すぎてもはや聖域なんだよぉぉぉ心が追っつかないぃぃぃぃとりあえず先生が喜んでるのが嬉しいよ!!

 

 


気持ち悪いくらい狼狽えていますね。「とりあえず先生が喜んでるのが嬉しい」とか言いつつ、どうみても動揺している。

 

 

 


安心しろ、私。
幕開き5分。小柳先生と下村先生がくださったオープニング、あれを観てお前はすぐに成仏する。

 

 

 

 


前置きが大変長くなりました。
そんなしがない原作スキーの目線でみた宙組公演について、つらつらと書いていきたいと思います。

 

 

 


【とにかくプロローグが最高である】
ほんとに序盤で安らかに成仏しました。
ああああかっこいい、みんなかっこいいよーーーーおおおおお
アニメのOP感あって最高にアガります。
例えるならアニメ第1クールの胸熱OP。掴みはバッチリ。
あれですね、第3クールあたりに主人公の反撃シーンでバックに流れて鳥肌たつやつ。舞台でも最終決戦で流れましたしね。
胸熱なメロディがまず素晴らしいですよね。そして次から次へと歌い継ぐメインキャラ達。なんなら【マッティワザ (cv. 愛月ひかる)】みたいなテロップが見えました。


2000年代のアニメ・ゲーム感があってほんと良いです。あれだ、比較的大人向けな大作ファンタジーもの…。そう、十二国旗…うたわれるものナムカプ…うっ…なんかそういう感じ。超刺さる。


そんな私は「や、く、そ、く」の振りが大好物です。

 


【全体的に楽曲が素晴らしく好み】
メインテーマの次に好きなのはマッティの登場音楽かもしれません。カッコよすぎでは??曲の使い方が完全にRPGですよね。途中でムービー挟まるタイプのやつ。戦闘シーンでのアレンジもかっこいいー。


RPGといえば、プルリアシュ祭の音楽もゼノギアスとかドラクエの民族系のテーマソングを彷彿とさせて楽しいです。
あと、三姉妹ソングのピコピコした音も。かわいいよー


そしてとても世界観が表れているなあーって思うのが、最後の「戴冠式(マラシャンティア)」の曲です。
"明けの明星"感があってすごく好きです。ハットゥサの空気を感じます。朝日が昇り始める爽やかな外気、乾いたオリエントの風、パンの焼けるにおい。人々の話し声。動き始める街。ハットゥサの朝。そして、新しいヒッタイトのはじまり。一番、原作の雰囲気を感じる曲かもしれません。

 


【散らばった原作ネタ達(私の興奮ポイント)】
随所に「気づくひとは気づく小ネタ」がたくさんあるのも楽しかったです!


・セットの両横のライオンは、「イシュタルは獅子を従えている」という説からなのだろうか。


・冒頭の姫たちが、原作の後宮編での正室候補達をモチーフにしていますね!
髪型とかだけじゃなくて、歌詞も。
原作では死んでしまう姫様方が、楽しそうに笑顔で歌っているので、実はちょっと涙が出そうになります(そういうシーンではない)。毎度、隣の人に引かれてないか心配です。


・まいあちゃんが歌うバビロニアの歌、10巻あたりでナキア様が故郷を思い出していた時のフレーズが入っている。


・「赤い獅子」=原作で、ユーリ率いる近衛隊の旗が「紅の獅子」。ちなみに原作カイルの旗はイシュタルのモチーフ。ユーリ大好きか。知ってた。


・「イルヤンカの瞳」や、「カイルの乳香」も原作ミタンニ編のネタですね。


・カッシュの髪飾り。これは和希さんも度々語られていますけど、ウルスラがいた痕跡に胸がぎゅっとします。


・ユーリに褒められて露骨に喜ぶルサファ。黒曜石のペンダントもついてるー(涙)


・冠のデザインが原作風!!


・三姉妹が剣を扱う時の腰に手を当てているシルエットも、ほんとに漫画から出てきたみたいで、ときめきましたー。

 

 


【しっかり少女漫画】
至るところでちゃんと少女漫画してて、最高でした!!

まずなんといっても、
「すけべ、エッチ、へんたーい!」
「ははは、そんなに喜ぶな」
からの、
「大丈夫、何もしないさ。…今はな。」


…カイル様ーー!!!(笑)
そんな、乙女ゲーかと思うくらいベタベタな台詞をっ…!!最高です!!!
あーーなんだこれ、劇場じゃなかったら手足をジッタンバッタンさせてるところですよ!!!!


時折する、「ニホン?」「らぶれたあ?」みたいな言い方も、トリップもの感があってときめきます。

 

そして極め付けは、誰が名付けたか「ヘッドロックキス」。
あの手の回し方!!ガッ、て、なにあれーー!!!(笑)


真ん中ふたり以外にも。キックリと双子がちゃんとフラグ立っててキュンとしました。
お祭での「愛する人、その手を伸ばして捕まえてよ」でキックリがふたりに手を伸ばしていたりとか!

 


【はじめてラムセスをカッコいいと思った←】
原作を読んでいた時は完全にカイル派だったため、じつはあまりラムセスをカッコいいと思った事はなかったのです。が。
…なんだあのイケメン!!!なんてさわやかな「嫁になれ」ソング!!!!
正直一番人間が出来てると思います(笑)カッコいいよラムセス!!


個人的に一番ツボなのは、最後のエジプト戦でのこのセリフです。
「心配なら…もう二度と離さない事だなあ!(アドバイス)」
↑本当にいいやつでは???

 


【ユーリがかわいい。】
なんなんでしょうね。雰囲気がとってもユーリ。たまらなく可愛い。存在が少女漫画のヒロイン。好きです。
謁見の場面や戴冠式でかつらを変えるようになってから、より一層かわいいです。


髪の毛アップにして、ヒラヒラ服着たら驚くほど可愛くなる設定の原作ユーリ。
という少女漫画的な効果を地でいくまどかちゃん。すごない???


まどかちゃんのユーリに関してはとても印象的だった事があって。ある日の観劇中、お祭での彼女が本当にユーリに見えて、一緒に古代オリエントに連れて行ってくれたような感覚になった事があり、それが強く心に残っています。「まどかちゃんありがとう…」て涙が出て、原作ファンの私は何度目かの成仏を迎えました。我ながら重たい。

 


【さまざまなif】
原作とは違う結末を迎えたキャラクター達に対しても、原作ファンならではの感情があります。


まずウルヒ生存√に涙。これはこれで、マイルドめで心に優しい、良い結末なのではと思います。


そしてルサファ生存√にも涙。原作では見られなかったユーリの即位に、笑顔で立ち会えている彼を見ているとね、ほんとね、涙がね…。


あと、明言されてはいないけど、現代では氷室と詠美がくっついたという事なのかな?だとしたらこの二人にもディープなエピソードがありそうですね。読み切り一本かけますね。

 

 


【個人的なこと】
天河(てんかわ?そらかわ?)→20年くらい「そらあか」って(勝手に)呼んで生きてきたため、『天河』に馴染めず、使えないという謎のしばりプレイ状態です(笑)。なので私はこれからも「天は赤い河のほとり」と正式名称で書いて文字数を消費するひとでいます(^o^)

 

 


【ご贔屓のネフェルティティ様(女役)について】
配役を見たときは、女役だし悪役だし、楽しみしかない!!(笑)という安易な感じでした。
普段見られないご贔屓のお姿が見られる事は、単純にファンとして嬉しかったです。


そして実際に観たネフェルティティ様は、神々しさの中に人間らしさが垣間見える、切なく美しい王妃様で、そのような薄っぺらい期待の遥か向こうを見せてくれたのでした。


なによりも印象に残っているのが、その圧倒的な存在感です。
特にアケトアトンの王宮へラムセス達が結婚の報告に来た時のあの構図。
ネフェルティティ様だけが数段上にいて、他全員と対しているような絵面。
ひとり対全体、という状態でも釣り合いをとれてしまうその存在感に、震えました。


それでいて、ネフェルティティ様には適度な「ナメている感」もあって。三代に渡り権力を使い続けている内に、きっと彼女は変わってしまった。驕り、油断するようになった。でもそれは彼女だけのせいではないと思うのです。そこに切なさを感じます。そう思わせるのは、それでも損なわれない気高さや、根底にある悔しさなどを澄輝さんが感じ取らせてくれているからなのではないかなあと思っています。


もうなんか、女役とかそういうものの先にあるものにただただ感動しました。
そんな澄輝さんが次回演じられるWSSのリフも本当に楽しみだなあーー

 


【総じて】
あの世界観はそのままに、ひとつのお話にしてくれて嬉しい、というのが初見の時から思っている素直な感想です。原作をただなぞるだけより、よっぽど難しいと思います。途中でちょん切るのでもなく、多少のご都合主義はあるものの、ひとつのストーリーにまとめてくれた。これは"宝塚版『天は赤い河のほとり』"というひとつの作品だと、本当にそう思っています。

 

 

 

 

 

 


**だけど原作ファンの私も叫んでいるんだよ!!のコーナー**

 


ここからは、私が「あああー」と思っているポイントや、ぜひ知ってほしいと思っている事を書きます。
なお、基本的に「宝塚の原作もの」は「2.5次元」ではないと認識しています。=原作の再現を目的としてはいない。
なので、以下の叫びは「だからダメ」という話ではなく、作品を否定するものでもないです。
ただ、原作に思い入れのある身としてここはこう思ったよっていう一意見であります。

 


【シュバスとゾラ】
兎にも角にも一番気になったのはここです。
シュバスとゾラがあんな風になるのはナキア様の『黒い水(=ひとを操れる薬)』のせいなんだよー!!って全観客に説明してまわりたい(迷惑)
見方によってはただ彼等が短絡的に裏切っただけに見えてしまうのが勿体無くてたまらないのです。
脚本として裏切った事にしているのなら、宝塚版だねって事でわかるのですが、そうじゃないじゃないですか。プルリアシュ祭の場面でウルヒが何かを嗅がせている。
ならば、見る人がみんな、操られていると気づく演出が欲しかったです。
あの子達いいやつらだからー!!ルサファもミッタンナムワも、あの子達が裏切ったら自分も死にますっていうくらいの信頼関係なんだよ(原作)ー!!隊長と副隊長ってそれくらいのものなんだよっ…
カイル様も、三隊長達も、誰も彼らが操られていたことを知らないままになってしまった。
イル・バーニあたりが後日、誤解を解いてくれていると信じているよ…

 


【タトゥーキアのイヤリング】
宝塚版の黒太子は、なぜ黒玻璃をユーリに渡したのかがどうしてもわからない。自分に立ち向かってきた女性だから…?それとも、カイル王子の唯一の側室だから?そしてユーリがそれを大事に持っているのはなぜ??あと、大事なものなので投げないで下さいマッティ様(笑)。
やっぱりナディア様(原作でミタンニ滅亡のとき唯一マッティの側に残った妃)がいないとマッティの行動に説明がつきづらいんだなあ、って思いました。原作では、ナディア様がいるから姉のものを手放す事ができた&ユーリを認めたからミタンニから無事に出すための手形として渡した、ユーリはそれに託された想いを知っているから大事に持っていた、という流れなんだが。あの尺では難しいね…。

 


【三姉妹】
三姉妹のユーリに対する姿勢が初見ではよくわからなかったです。ミタンニでアタリが強かったのが、ハットゥサに帰ってきたら「ユーリ様!」みたいになってたのが、「?」でした。きっとミタンニでユーリを見直したという事なんだと思うのですが、ミタンニ編のユーリは基本的に守られていて、三姉妹に惚れられるような瞬間はなかったと感じるのです。でも最初から三姉妹に大事にされていたら、それはそれでおかしいもんなあ。難しい。

 


【自分でイシュタルを名乗るユーリ】
自分で言っちゃったよ!と、思わず心でつっこんでしまって、集中が切れてしまった瞬間でした。イシュタル(=女神)って、ひとから呼ばれる事に意義があると思うのです。そもそもなぜユーリがイシュタルを知っているんだろう…という気持ちも相まって、残念だなって思いました。原作を知らないひとがどう感じたのか知りたい。

 


【カイル呼びの背景】
「カイル皇子」から「カイル」になるのが唐突な感じがして、これも勿体ないなあーって思いました。皇帝になる=名前で呼ぶ人がいなくなる。だからユーリには敬称なしで、名前で呼んでほしい。という原作のエピソードが大好きなので、カイル呼びは最後の最後でも良かったのではという気持ちがあります。

 


【黒太子の寝返り】
周りの人から一番「急だね!?」とつっこまれた部分でした。その度に「違うんだって!!黒太子が仲間になるのはちゃんと理由があってすごい胸熱展開なんだって!!!」と説明する原作ファン(笑)急に手のひら返した訳じゃないんですよ、舞台上でも「ミタンニ復興を援助し、マッティワザを味方に〜」と言っているけれど、そもそもミタンニが戦争に負けてボロボロという背景がわからなかった方が多かったみたいでした。東京版では少しわかりやすくなってよかったと思いました。

 


****


このような感じで、ほんとうに、あと少しずつ足したり引いたりしてくれたら嬉しかったなーっていうのが素直な感想です。
作品の雰囲気、それぞれのキャラも、楽曲も、お話も、ぜんぶ最高なのに、細かいところで大きく損をしている感じがほんとーーに勿体無いよーーっっ

 


観客は、多くの場合、「嬉しかった部分」よりも、「不満に思った部分」の方が何倍も強く印象に残りやすいのではないかと思います。それで大きく大きく損をしてしまっているように思えてならないのです。

 


たぶん、小柳先生は原作をとても大切にしてくださっていて、キャラをあまりタカラヅカナイズしないでくださったんだと思います。
出来るだけ、原作のキャラ設定に寄せてくださった感じがとてもします。そして少なくとも私は、それが嬉しかったです。
でも、それをするにはあまりに尺が足りないんだと思います。お話の辻褄を合わせようと思ったら、キャラを犠牲(というと言葉は悪いけど…)にしないといけなかったのかもしれません。例えばぜんぜん違う理由でイヤリングを渡す黒太子。例えば普通に裏切るシュバスとゾラ。例えばカイル呼びしないユーリ。ですが、そうすれば辻褄は合うけれど、原作ファンとしてはやっぱりちょっと寂しいとも思うのです。私も正確がわからなく、大変に難しいです。


時間や構成、配役の、宝塚的制約がある中で、可能な限りの原作感を目指してくれたんだと思います。そうして生まれてしまったのが、各所の違和感と説明不足。

 


あとちょっとで、劇的に面白い作品になったのでは、という気持ちが拭えなくて、なんだか悔しい。悔しいです。

 


それでも、この舞台に出会えて良かったと心から思います。
大好きな作品を舞台化してくれたのが、大好きな宙組で、
そして私が宝塚に自由に通えるこのタイミングで観させていただけて、本当に良かったです。
数年前だったら私は宝塚を知らなかったし、未来はわからない。観たくて仕方ないのに観られなかったかもしれない。
この奇跡に、そして全力で舞台を作り上げてくださっている皆さまに、ただただ感謝です。

 


史上最長の感想になってしまった。
原作ファンであり宙組ファンである私の、雑多な視点に付き合っていただいて、ありがとうございました。