観劇日記

観たものの忘備録的感想

梅芸版「West Side Story」-叶わなくたって願い続ける

 

 

Somedayは来ない。

Somewhereは見つからない。

私達はそれをどこかでわかっていながら、それでも愛と平和を願わずにはいられない。

 

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梅芸版 宙組公演「West Side Story」を観ました。

 

不朽の名作と言われる本作。映画版が特に有名ですよね。

周りにも、舞台は初見だけど映画は観たことがあるという方が多かったように思います。

私も高校生の時に映画を観たのがこの作品との出会いでした。

当時、映画版トニーとマリアは高校生の私には「ザ・のぼせ上がり」に見えてしまって、あんまり応援できなかったなあとぼんやり覚えています。(そして、だからこそ伝わる映画版ならではのメッセージがあるのだろうとも思います。)

 

この夏観た宝塚版は、真ん中ふたりの幸せを願わずにはいられないし、ジェッツもシャークスも、大人も子供も、みんな認め合って許しあって平和になって欲しいと、そんな事を本気で願ってしまうような世界でした。

宝塚ならではの純粋さに満ちた空気の中でしか、私はこの感想を抱けなかったと思います。外部発祥のミュージカルでありながら、宝塚らしくギリギリまで生々しさを省いた世界で、男女の短絡的なのぼせ上がりはあまり感じさせず、主役ふたりが純粋に好きあっているのが伝わる空間でした。シンプルに、幸せになって欲しいと思わせられる。これは宝塚版の醍醐味だなあ、と思うのです。

 

一方、ジェッツとシャークスも、やはり宝塚で観ると、純粋で、幼くて、だけど彼らなりに一生懸命に生きている若者にみえます。なので、結末に対して誰が悪いのかは私にはわからない。刺したトニー?ナイフを出したリフ?それともベルナルド?マリア、アニータ、ジェッツ、シャークス、警官、社会…なにがどうあれば良かったのか。幸せになって欲しいのに、幸せにできる方法がわからない。誰を責める気持ちにもなれない。だけど「不幸」で片付ける事もできない。苦さの残る作品です。

 

「差別」という一言では表せない、複雑な問題を扱っているお話だと思います。だって、じゃあ皆がフラットに、誰に対しても嘲る事も貶す事もなく、無菌室みたいになれば「平和」なの?そういう事でも無いと思っています。そもそも、それらの感情が世の中から無くなる事は、きっとない。

 

けれど、それでも、最後にぺぺが伸ばす手に、私は希望も見ました。一気に何もかもを平和にする事は出来ないけれど、そうやって少しずつでも変わっていけば、残った彼らの未来は「ひどい世の中」より少しは明るくなるのではないか。『人は変われる』。ぺぺのように。マリアの手に応えたアクションのように。参列に加わったメンバーのように。当然、皆が皆そうなる訳でも無ければ、変わる幅も人それぞれだけれど。でもその事実が、ラストシーンで、私の感じた唯一の希望であり、この作品の大きなメッセージだと思うものです。

 

 

真面目に語ってしまった。自分は幸いにも現代の恵まれた環境で大変幸せに過ごしているので、これからも大好きな周りの人達を大切にして生きていきます。

 

 

全体的にはそんな感じです。

以下、細かい感想です。

(セリフや歌詞はうろ覚えのものも多く、ニュアンスで書いています。)

 

 


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【真風さんと澄輝さん】

トニーとリフのまかあき芝居最高じゃないですか。最高ですよね。なんなんでしょうねあのバランス。まず見かけからしていいですよね。澄輝さんと真風さんのシルエットの対比がほんと極上。背はそんなに違わないのに、身体つきの種類が違う。バディ感ありますよね。まさに「俺とお前」。

そもそも澄輝さんをここまで好きになったきっかけは、「王家に捧ぐ歌」でのエチオピア三人の空気感、そして真風さんとのお芝居でした。ウバルドとカマンテはあまり台詞は交わしていないけれど、説明されなくても関係性が伝わるお芝居や、お二人の醸し出す雰囲気が本当に好きでした。

その後、「バレンシアの熱い花」で改めてお二人のお芝居が好きだと実感して、なんかもう気づいたら鹿児島まで飛んでいたよね。

そんなお二人のトニーとリフ。やっぱり、台詞で説明されなくてもわかる空気感があって、二人の過去なんかも見えてくるようでした。何より、気持ちがすれ違っている事、だけど間違いなく大切に思い合っている事が、痛いほど伝わるお芝居でした。

また観たいなあ、まかあき芝居。

 

【トニーとリフ】

置いていく人と、置いていかれる人。ただし、その事にリフは気がついているけれど、置いていく方のトニーは全然気がついていない。切なすぎる。

リフは昔に固執しているというか、「トニーと作ったジェッツ」を大事に大事にしていて、トニーがいなくなる事は彼の中できっとジェッツが終わる事に等しい(トニーのいないジェッツはジェッツじゃないというか)。

一方、トニーはそんなリフを置いて「生まれて初めての何か」に走っていく。なのに、リフが自分の人生からいなくなるとは思ってもいない。自分が置いて行っているのに。自覚なく、無邪気で、やはり若いんですよね。リフを突き放しながら、ベストマンはナチュラルにリフだと思っているそのアンバランスさは彼の罪だと思います。

だけど、間違いなくお互いを大事に思っているのも本当で。爆発しそうな他メンバーを窘めてきたリーダーのリフ、そんな彼をキレさせたのはトニーを貶した行為。一方、「新しい何か」で頭がいっぱいでお空を飛んでいたトニー、そんな彼にマリアを忘れさせたのはリフが刺された事だった。お互いがお互いの唯一の弱点みたいな二人だと思います。

それなのに、リフの声はトニーに届かないし、トニーの声はリフに届かない。リフは何度もトニーをケンカに引っ張り出そうとするけれど、トニーはリフよりも「初めてのなにか」に夢中で碌に向き合わないまま物語は進む。一方のトニーも、決闘中、抑えられながらすごい声で「リフ!!」とようやく叫ぶけれど、その時にはもうリフには届かない。オフマイクなのに聞こえるその叫びが本当に苦しかったです…。

物語を通して、トニーはマリアとリフの間を行ったり来たりしますよね。リフに誘われて一度は断ったダンスパーティーに結局行ったり。ランブル前のTonightでリフの「お前と俺で守らなきゃ」に「そうだな」って言ったり。いや決闘止めに来たんだよね?と思うシーンなのですが、トンチキなのではなくて、つまりやっぱり子供なんだって事だと思います。トニーだけじゃなくて、みんな。不安定で、定まらなくて、「俺(私)たちが最強」という理想とうまくいかない現実のギャップに苦しむ。

リフとトニーは、どうなりたかったんでしょうね。二人がお互いに求めるものに、本質的な違いはないように思えています。二人にもう少し長い未来があったら、それぞれがどんな選択をしても、お互いが大切である事は変わらなかったのでは。本編ではすれ違ったまま終わってしまったけれど、違う未来もあったんじゃないかなあ。「これ、空に見える?」「かっこいいよ」。そんな風に、呆れつつも受け止め合いながら進む未来。この二人も、幸せを願わずにいられない、私の中でもうひとつの「主人公達」でした。

 

母ちゃんの腹から墓場まで!!

生まれる前からあの世まで!!

 


【ベイビージョン】
かわいくて、怖がりで、素直な子なんだと思います。喧嘩っぱやいジェッツの中では少し異質に感じます。「やめとこうに一票!」「ゴミの投げ合いじゃだめ?」「怖いよおー」等々、全然つっぱっていない場面が多く、なんで不良やってんだろ?と思う事もあります。が。

クールの場面で一番おどろおどろしく踊るのも彼です。このシーンでハッとされた方も多いのではないのでしょうか。彼には深い深い闇がある。

普段つっぱっていない分、彼の闇を見るのは一層怖いです。なんなら本人も常時は忘れているのではないかと思います。出来る事ならその闇を掘り起こさせるような事がこの先多く起こらなければいい、というのは私の勝手な願いです。


もうひとつ。
人間のクズだわ!が頭から離れません。なんですかあの超絶技巧みたいな演技(笑)。思い切った高音の声、ステレオタイプな女性ソーシャルワーカーでありながら、ちゃんとベイビージョンという役の範囲に収めているというか。うまく言えない。うん、超絶技巧。


彼は言われたのかな。あの声で。人間のクズだわ!て。


総じて、秋音光さん上手すぎませんか。

 


【エイラブとベイビージョン】
現代を比較的平和に生きている私の目線ではやはりジェッツは「特殊」で、すぐトラブルを起こすのは「そういう」ひとたちだからという感覚になりがちなのですが、エイラブとベイビージョンの掛け合いを見るたびにそうではない事に気付かされます。
彼らも喧嘩は怖いと思っていて、友達を大事に思っていて、なんか別にかわんないんですよね。決闘の後の二人は特にそんな感じです。

 

 

【エニボディーズ】

二幕でアニータが襲われている時、そこに加わるのではなく、遠くで膝を抱えて目を塞いでいたのがとても印象的でした。

一方、「スカートでも履いてろよ」という攻撃に対する「膝が汚ねえんだよ」の返しは余裕があるなあって思いました。将来について聞かれた時の「コールガール」も。彼女は彼女で色んな経験をしてきているんだろうなと感じさせられる受け答えでした。

エニボディーズはどうしてジェッツに入りたかったのでしょうね。夢の世界で、シャークスとも手を繋いで、自由に踊る彼女のなんと清々しかった事か。あちらがきっと本来の彼女の雰囲気なのではないかなあ。彼女の未来はコールガールじゃなくてあれがいいなあ。

 

 

【クラプキ巡査ソング】
あんな決闘の後にコレを持ってくる容赦なさよ。最強の言い訳タイムですよね。でも、だからこそ伝わる彼らの動揺と幼さ。

「愛情足りてない」などもほんとにそう思って言っている訳ではないですよね。愛情がほしくてグレているんだって言っている訳じゃなくて、これも周りが彼らに押し付けているレッテルで。「愛情が足りていないんだわ」って。んで、彼らとしては「そう言っとけばいいんだろ」って。そういう風に聞こえています。

この曲、比喩じゃなくて本当にそれぞれ言われてきたことなのかな。ああやって色んな機関に「たらい回し」にされたのだとしたら、大人の言う事を聞かない彼らをどうして責められようか。その上でたどり着いたのがジェッツなのだとしたら、どうしてそれを否定できようか。そして彼らが最後にたどり着く結論は「ぶん殴ろう」だからなあ…それをあんなに明るく、ちょっとラリ入ってる感じで歌われるとなあ。苦しいわ。

ひどい世の中しか、俺ら知らねえよ、ドク。

 


【ドク】
なぜドクは彼らの溜まり場になる事を受け入れているのでしょう。ジェッツとドクの間にあるある種の信頼感みたいなのはなんなのでしょう。ドクに反発しながらもリフ達は結局お店に集まるし、彼に暴力は振るわない。ドクには見捨てられたくないって思っているように感じる場面もありました。ドクに怒られなくなったら終わりみたいな。

ドクは、小言は言うけれど、彼らをチンピラ呼ばわりしたり馬鹿にしたりはしないんですよね。クラプキ巡査ソングに出てくる大人達と違って。でも最後の最後、アニータを襲ったところでもう抱えきれなくなってしまったのだと思います。

ドクにはもしかしたらジェッツみたいな、あるいはそれ以上に社会に虐げられた過去があるのかもと思っています。だから彼らに少し寄り添えるのかも。「この街一番のボンクラが文句なんか言いませんよ」とシュランクに言っているように。ドクにはマリアはいなかった=ドクが何かに許されないでいる、という事なのだとしたら、あの場所でドラッグストアを営み、青年達を受け入れているのは何かの贖罪なのだろうか。

 

 

【ベルナルド】
愛が深くて優しいひとだと思います。家族を愛し、仲間を愛し、アニータを愛しているひと。ただし、厳密に人を選ぶ。「俺は憎い相手とは飲まないし握手もしない」。つまりそういうこと。
彼の優しさはアニータを見ていると間接的に伝わりますよね。彼女がお洒落をアピールするのはちゃんと褒めてくれるからだし、強くいられるのは受け止めてくれるベルナルドがいるから。
あと、ダンスパーティー前、今夜は大切な夜だと喜ぶマリアに言う「なにが?」の声色が本当に好きです。優しいお兄ちゃん。とても自然。だから本当に辛いです。マリアやアニータが奪われたものがなんなのか、とても良くわかって。

あとはもう愛月さんがとにかくカッコいいです。アニータのショールに口付けながらの「エトセトラ、エトセトラ…」は正直顔が熱くなりました。なにあれずるい。

 

 

【アニータの歌詞の変更について】
決闘前のTonight(クインテット)の場面、フォーラム版ではアニータは「朝まで私を抱く」と歌っていたのに対し、梅芸版では「朝まで彼にかしずく」という表現になっていたかと思います。
私は結構この表現が好きです。単体で見るとモヤっとする言葉なのですが、ダンスパーティー前のブライダルショップでアニータかマリアに「あいつらと踊ってあっという間に"かしずく"羽目になってもしらないわよ」と忠告しているからこその歌詞だと思っています。かけてますよね。
ああやってマリアには言った「かしずく」だけど、相手によっては嬉しい事に変わるんだっていう感覚が素直で好きです。アニータはベルナルドに惚れているんだねえ。

 


【フィナーレ】
2時間半の間で最も涙があふれる数分間です。

ジェッツとシャークスが肩を組み、シュランク警部補やクラプキ巡査も一緒になって若者を「マンボ!」と囃し立てる、そんな世界。

本編でのダンスは争うための媒介だったけれど、ここではみんなが笑顔で嬉しそうにダンスをしていて、どうにも胸が熱くなります。夢みたいなダンスパーティー。具現化したサムウェア。本編では叶わなかった世界。

 


【リフ】

澄輝さんがリフをされるとわかった日、本当に飛び上がるくらい嬉しかったです。観る前から絶対にカッコいいと確信していました。そして実際に舞台で観たリフは、想像の何ッッッ億万倍もカッコよかったです。

リーダーだと納得する風貌。キレのあるダンス。迫力のあるがなり声。トニーとの空気感。破裂する若さと熱。想像を容赦なく超えていく澄輝さんのお芝居に震えました。

何人もの方がおっしゃっていますが、ダンスパーティーは本当に圧巻ですよね。周りを圧倒させながらガンガン踊る澄輝さんと綾瀬さん。もう、カッコいいを通り越して暴力的ですらあったあった気がします。ダンスで殴られた。攻撃的なエネルギーに、気がついたら見ているこちらも息が浅くなっているような、そんな体験でした。

あとはやっぱり一連の「クール」の場面、言葉にできないくらいカッコよかったです。激しいダンスをやはりすごい切れ味で踊るリフ。激昂しそうな仲間を手で制するリフ。取り乱したアクションに足を引っ掛けるリフ。そもそもあの黄色ワイシャツ×ネクタイ×スラックスが似合いすぎているんですよね。ああ、『指パッチン+地面指差し』のコマンドで呼ばれたい。取り乱しました。すみません。クール。日常で何か心乱す事がある度、脳内リフが「クールにな」って言ってくれるようになって助かっています。

 

最初に観た時、「ジェッツはリフがいたから上手くまとまって来られたんだろうな」と思いました。澄輝さんのリフは、熱いながらもちゃんと考えていて、無駄な喧嘩をしたり、意味なく人を傷つけたりしなさそうというか。ジェッツがただの寄せ集めじゃなくてチームでいられたのは、彼がいたからだと思いました。"ジェッツのリーダー"としての説得力に溢れていました。その上で、公演期間中にリフの未熟さがどんどん表に出てくるようになったのが本当に印象的でした。最後に観た回、リフは、未熟で、イキってて、自分をコントロールなんて実は出来ていなくて、無駄な喧嘩もするし短絡的な面もある若い子どもでした。よりリアルで、腑に落ちるリフでした。すごい体験をした気分です。そうやって、いつだって想定の遥か先を行かれる澄輝さんに心奪われているのです。

 

 

 

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"吐き出さないとやってらんない"。それはトニーも、リフも、ベルナルドも。他のメンバー達も。壊れた水道管みたいな人たちの二日間。

 

West Side Storyの感想は書けば書くほどよくわからなくなってしまって、千秋楽から一週間が経った今でも気持ちの明確な着地は出来ていません。

ならばいっそまとまらないままでいいかと、それが正直な私の感想の形だと、いつも以上にぐだぐだ書いてしまった気がします。

 

冒頭でも書きましたが、私はsomewhereはないと思っています。いつでもどこでも争いは起きる。理不尽に。

でも、だからといって愛と平和を願う事をやめたりもしません。きっとこれからも私も傷ついたり逆に傷つけたりしながら生きるのだろうけど、せめて自分の手の届く範囲くらいは、愛と尊敬に満ちた世界であれるよう頑張り続けよう思います。

 

長々と書いてきましたが、本当に言えるのは、これくらいです。

 

この公演を観て、誰かの行動が、愛と平和への願いのもとに少しでも変わるといいなあ。

そして明日は今日より少し、平和になりますように。

 

トニーが描いていた、空飛ぶ紙飛行機の看板みたいに、誰もが、自由に、平和に。

 

そう願います。