観劇日記

観たものの忘備録的感想

雑記。今日という日。

「澄輝さやとさんから白い封筒届いたよ」


プッシュ通知に現れたこの一文。


たまたま家にいた家族が、ラインで教えてくれた。

 


「…………………そっかあ。」

 


口から漏れたのはそんな声だった。笑っていたと思う。たぶん。

 

 

 


公式発表より数時間早く知れたおかげで、ひとりで静かに向き合う時間があってよかった。発表されてからは色々慌ただしいから。

 


だけど、ラインの通知をみた瞬間は、「ああでもこの形で知りたくなかったな」とぼーっと思ってしまった。
家族は白封筒の意味を知っていたから、一刻も早く知らせないとと思ってくれたのだろうけど。
誰かに教えてもらったというのが、なんかやだった。自分で封筒を受け取るか、発表を見たかった。
あまりこういう事にこだわりのない自分が、そんな風に思う事に驚いた。
無意識に、いつか来るこの日の事を大切に思ってきたんだなって、再確認した。

 

 


退団を知って最初にした事は、なんでかわからないけれど、スマホのカメラロールをみることだった。カメラロールには澄輝さんに関する思い出がたくさんあった。遠征の写真、大好きなあき友さん達との写真、澄輝さんに送ったお手紙…
澄輝さんを好きになってからいままで、私の青春は本当に澄輝さんと共にあった。退団発表に現実感をもてなくて、ただ静かに写真を眺めていた。お仕事の休憩中だったから、とはいえ5分くらい。そして普通にお仕事に戻った。普通に、とは本当はたぶんできてなくて、どこかふわふわしていて、反対の電車に乗ったりはした。電車間違えるのは流石に自分でも「お約束すぎるだろ…」て思った。

 


夜。大好きなあき友さん達が会ってくれた。お顔をみてまず抱き合った。
そしてとりあえずごはんを食べた。ちゃんと食べるの大事。
今日という日に会ってくれた事、本当に感謝しています。
一緒にいてくれてありがとう。楽しく笑って今日を過ごさせてくれてありがとう。そしてハッピーな写真がまたカメラロールに増えました(笑)

 

 


そんな一日でした。
宝塚で誰かの「ファン」になったのは澄輝さんがはじめてで。
右往左往しながらお友達と楽しく過ごして気づけば数年。どこを思い出してもハッピーな思い出しかなくて。ぜんぶ大好きで。


そんな方の退団発表の日。
まだ一度も泣いていないのだけど、やっぱり気持ちが追いついていないのかな。
初日前にどこかで気持ちを落ち着けたいな。

 


ここから自分がどんな気持ちで千秋楽まで過ごすのか正直ぜんぜんわからないのだけど、
きっとぜんぶぜんぶ幸せな思い出になるんじゃないかなあ。そういう方だもの。

 


千秋楽のその日まで、みんなが清々しい気持ちで走り抜けられますように。

【黒い瞳】愛と祈りと勇気の物語

宙組博多座公演「黒い瞳」について。

黒い瞳」はタイトルを聞いたことがあるくらいで、映像でも観たことはなく、内容も知らない状態で観劇をしました。

初見でしみじみと思ったのは、やっぱり柴田先生の言葉は美しいなあという事でした。フレーズのひとつひとつから漂う品が好きです。中でも「先生」「大将」と言う呼び名のなんと"劇的"な事。ものすごいインパクトでした。

「この懐かしい先生と話したい」。こんな日本語思いつきますか。台本を小説として読みたい。博多座公演でもル・サンクください。

演出の美しさも印象的でした。序章での宮廷の煌びやかさと農奴達とのコントラストだとか。雪んこまどかちゃんの可愛らしくて躍動感のある登場シーンだとか。ベロゴールスクの明るく暖かな空気を感じる色づかいだとか。そしてなにより、トリオの使われ方が本当に印象的でした。登場のし方、台詞の言い方から、表現のすべてに心が奪われました。狂言回しかと思いきや、感情のメタファーとして現れたり。市民になったり、士官になったり、コサックになったり。タンバリンひとつでソリをひくなにかにもなる。そしてまた「愛」「祈り」「勇気」の象徴に戻る。心情や場面を、歌でも、ダンスでも、芝居でも表現できる究極のアンサンブル。ああいう演出が大好きなのです。映像でもない、美術でもない、生身の人にしかできない空間表現。舞台の醍醐味だと思います。

 

総じて。オーソドックスでありながらも、「私、宝塚を観ている…!」と感じる場面の多い舞台でした。演出しかり、題材しかり、キャラクターしかり。

ここのところ「新しい試み」をがんばっている作品が多かったのもあって(それはそれでやるべきチャレンジだと思っている)、なんだかこの作品の古き良き感じに少しホッとしたのでした。博多座の暖かさともマッチして、良い演目だと思いました。

 

 

以下、細かく。

 

 

【マーシャ】

「守られる」と「守る」の加減が絶妙でした。

ベロゴールスクでの彼女はとっても愛らしくて、「守りたい…」と思わせられました。ニコライと一緒に私もマーシャに恋しそうになりました。

先述もしましたが、まず登場からして最高ですよね。真っ白なコサックの衣装で、躍動感に溢れたコサックダンスを可愛らしく踊りながら出てこられた時、完全にハートを掴まれました。

マーシャは、裏表なく、ただひたむきにニコライを愛している事が一挙一動から伝わってくるようでした。

一方で最近の舞台では新鮮なくらい「普通の女の子」。特殊な能力に秀でている訳でも、大きな後ろ盾がある訳でもなく、自分でシヴァーブリンから逃げきるような芸当はできない。そんな子が、ニコライのために、はるか遠いペテルブルグへ飛んで行く。本当に命をかけて。きっと怖かっただろう不安だっただろうと思います。だからぐっとくるんだと感じます。ただ真っ直ぐな想いだけを力にして、文字通り飛んで行く。心から美しいシーンでした。

可憐で、清純で、ひたむきで、宝塚の世界でしか見る事は叶わないと私が思っている、幻想的に素敵な女の子。星風まどかちゃんの空気にとても合っていました。良いものをみせてくれて、心から感謝。

 

 

【進め、嵐の中を】

愛ちゃんのプガチョフを観られた事は人生の宝です。そう思うくらいよかった。説得力に満ちていた。とても人間臭いひとが、理想の「王様」の姿であろうとする様が、カッコよくて、切なくて、熱かった。

けれど、彼の「王様」は虚構で、どうしたって本物には程遠く私にはみえた。彼は知らない、本当の王様を。本当の軍隊を。ピョートル3世を名乗る事の野暮ったさよ。侵略地の司令官にシヴァーブリンを任命する浅はかさよ。

ニコライを「先生」と呼ぶのも、私は誰か偉いひとの真似なんじゃないかと思っています。「先生」、うん、言うよね偉いひとってやたら「先生」って言葉使うよね、わかる。私の勝手な邪推だけれど。

そして、彼が正義をぶらさない様はとても人間的で。ニコライは恩人だから見逃す。監禁されている女の子は助ける。マーシャの身元を知っても約束だから殺さない。本当に人間くさい。そして自分の正義を裏切らない。彼のそういう価値観がもっと生かされる環境だったらよかったのに。戦以外で影響力をもてたら良かったのに。そうしたら全然違う形でロシアを変えられたかもしれないのに。そう思わずにはいられない。

でも彼が地獄から脱するためにはああやって戦うしかなかったのだ、きっと。痩せた土、臭い飯。それらと別れるためには。本来の望みはただ、凍える事や飢える事なく生きたいという人間として当たり前のところにあったのではないだろうか。それが脅かされていたのなら。労働を強制され、自由を奪われ、寒さに震えてごはんが無くて。尊厳もきっと無くて。

そんなのもう、自分が支配する側になるしかないじゃないか。勝てるとか勝てないとかじゃないんだ。今もどうせ地獄なのだから。動かねば死ぬのだから。「無理だ」と言われようと戻れる訳もなく。それしかないんだ。進め、嵐の中を。

きっとプガチョフについては全然違う見え方をしているひともいると思います。私には虚構に見えたものを、心からのリーダー性と捉えるひともいると思う。全然別の意見もあるかも。だけど、どんな見え方でも、彼が「勇気」の人である事は変わらないと思う。

彼を「極悪人」でも、あるいは「救世主」でもなく、「勇気」の人としているこの話が好きです。

そしてそれを素晴らしい説得力で表現してくれた愛ちゃんに心からの拍手を。

 

 

【ニコライの最強呪文】

強そうな見た目なのにお坊ちゃんのニコライ。たまらなかったです。ゆりかちゃんの持ち味とは反対のお役どころ?とあらすじを読んだ時点ではちょっと思ったのですが本当にごめんなさいしっかり純愛派で正しくお坊ちゃんですんごい良かったです。曇りなく自分を貫く感じ、ときめきました。ニコライの恋の歌、ベロゴールスクのひとたちに絶対盗み聞きされてニヤニヤされているでしょ。愛されキャラのニコライが好きです。

そんなニコライの最強呪文、「そんなの関係ねえ」

浮浪者?関係ねえ恩人だ。外套どうぞ。

コサック?関係ねえ好きだ。

プガチョフとマーシャは、ニコライが(恐らく無意識に)救ったふたり。ニコライに最もときめくのはここです。ふたりの人に決して小さくない光をみせた。当たり前に。

民族の差って、なんなんでしょうね。宝塚では度々登場するトピックですが。マーシャがコサックである事は見ためや言動ではわからないのに、言われなければ気づくことすらできない事に、なぜひとはこだわるのか。…というような事をグルグル考えたところで、ニコライが「そうだそんなの関係ねえ」してくれるので私の思考も救われます。そしてきっと劇中にも彼に気持ちを救ってもらったひとは他にもいるのだろうなと思いました。マクシームィチとか。

 


【こまごまと】
*トリオ

本当に最高です。勝確なのはわかっていたけれど予想を上回る素晴らしさでした。トリオの影響が大変強い作品だと思うのですが、お三方とも圧巻の表現力でした。特に印象深いシーンがふたつ。ひとつは、ソリのシャンシャンからの熱のある振り。とてもセンシティブだった。もうひとつは、マーシャがペテルブルグへ急ぐ場面の心揺さぶられるダンス。マーシャを含めて4人で同じ振りを踊るところは特にぐっときました。はじめの方、宿屋でお椅子をクルクル持って入ってきて何事もなかったかのように客の演技に入るのも好きだったな…。フラついたりとか…しないんすね…。

 

*シヴァーブリン

最初からわかりやすいワルモノ。そしてお話が進むにつれどんどん残念になっていく。寝返る。監禁する。脅す。保身に走る。なのに顔は都会的イケメン。正しい当て馬の残念イケメン。ぜんぶ褒めています。いやシヴァーブリンさんは中の人がずんちゃんで良かったね。あの都会的なお顔とシュッとした役作りをしてくれていなかったらほんとただの小物で終わっちゃうところだよ。そうはさせずちゃんとイケメンに仕上げる桜木さんがすごいという話。

 

*サヴェーリィチとパラーシカ

コミカルなデュエットがとっても可愛かったです!可愛いながらもクオリティがすごかったです。ふたりとも動きのキレがすごい。そして中毒性もある。元気がないときに流したい。

サヴェーリィチは貴族の仕え人としてとても正しくて、命の恩人だろうと身分が下の人間は見下す。それが、ニコライの命乞いでプガチョフを陛下と呼ぶのだから、なんだかあのシーンは彼の代わりに屈辱を感じてしまうようなシンパシーを覚えます。あのプライドがエベレストみたいなおじいちゃんが。ぐう。

パラーシカはまさに「おっかねえんだが気の良い女」でした。マクシームィチが裏切っても繋がっているくらいには好きだったんだろうし、きっと彼の事情を受け止められる度量が彼女にはあったんだろうな。ふたりは幸せになって欲しかった。

 

*ベロゴールスク

ミロノフ大尉も、イヴァン中尉も、セルゲイエフ中尉も、ヴァシリーサさんも、ポカポカとあたたかくて、優しいベロゴールスクの雰囲気が好きでした。だから陥落からの処刑と自殺が初見はめちゃめちゃキツかったです。中尉が大尉の奥さんの編み物をお手伝いするような平和な場所だったのに。

「我らは国境警備隊」の歌も、なんとものんびりさんで田舎みがあって好きです。おてんとさーまがかーおだせーば(うろ覚え)

 

*ズーリン

低い声、シャープな動きに目を奪われました。一挙一動、セリフのひとつひとつに、しっかりと軍人らしさがありました。戦場での機敏性。ニコライやマーシャを気にかける包容力。まりなちゃんの演技に惹きつけられました。

 

 

【そして澄輝さん】
ベロボロードフは気持ちがいいくらいシンプルに「悪役」。

もしかしたら彼の「正義」ってやつがあるのかもしれない。農奴制から逃げ出した経緯や、深い心の傷なんかもあるのかもしれない。

でもそんなものに意識がいかないくらいカジュアルに裏切るし、あげくに、敵を普通に信じて殺されちゃうので…。たぶん、もう、本質から【浅はか】なんだと思いました。あなたなんのために戦っていたのよ、、、て。

私的には役者がベロボロードフに抱かせる印象としてこれは大正解だと思うのですが。どうでしょう。

彼は信念とかたぶんない。悪いことを悪いとも思っていない。だからといって狂っている訳でもなく。ただ思慮が足りない。浅いひと。だから本当は「悪役」にすらなれない。思想とかないから。そういうひと。

ホント中の人と結びつかない単語ばっかりですね!(笑)澄輝さんから本来滲み出るクレバーさやロイヤルさが全くない。すごい。改めて澄輝さんの役作りに恐れおののいたお役でした…。

あとあのがなり声がデフォルトなのがたまらなかったです。どこから出ているのあれ。スカステのお稽古場映像よりさらにガラの悪い声になられていました。「吊るせぇ!!」。吊るされたい。

からの、"雪のコサック"。あんな、ヒゲ生やして荒れくれていた粗暴者が、最後の最後、「ザ・雪の精です❄️」みたいなハイパー美しくてイノセントな顔して出てこられたので、ギャップで混乱しました。幕が降りてもしばらく「???」(^o^)とアホな顔をしていた記憶があります。なんなの??変幻自在なの??

 

【結びに】

本当に、宝塚的で美しい言葉に満ちた夢々しい世界でした。慌ただしい遠征ではその世界観を正直味わいきれなくて、無念に思います。あと数回、落ち着いて観たかったです。移動疲れしていないクリアなアタマでしっかり言葉を聞きたかったなあ。早く映像でないかな。

 

映像がでるまでは…柴田先生の美しい言葉とは反対に、私は俗にまみれているので、粗暴者ベロボロードフさんの残念エピソードを妄想しながら生きようと思います。

絶対、女性にモテなかったでしょ←

【異人たちのルネサンス】自由ってなんだ?

好きなとこと同じくらい、アタマにハテナが飛ぶとこがたくさんあって、千秋楽も終わりましたし好きに書きます。(いつも好きに書いている)

 

まずは好きなとこ!


【これは良いれいか様 】

正統派悪役!イケメン悪役!!れいか様の「良い子だ」に胸がギュンッてなりました。

いいな、私もれいか様が投げたもの拾いたい。

 


【えび様】

腹筋。拝。ありがとう&ありがとう。

酒場の場面は忙しい…!


【94期】

私の見間違いじゃなければ、94期が並んで舞台を横切る場面があったと思うのです。

カーニバルの中でトルコダンサーズが上手から下手に横断するとこ、かと…。

あそこはちょっと泣いた。かけるさん…


【ペルジーノ】
優しさが光る。誰に対しても優しいひと。レオナルドにも、サライにも。


ところで「マスケラータの夜に」の場面で机の上に登る直前、一瞬女の子達を煽る手の動きが最高。カモンってするの。からの、机の上でのターンで私の中の何かが爆発します。そうやってチャラさをちょい見せするのやめてくれませんか。ペルさんあれでしょ、ナチュラルにモテるタイプでしょ、でも今は芸術が第一だから彼女とかはちょっといいかな、工房のみんなといる方が楽しいしな、みたいなそういう人でしょ。(決めつけ)


【ペルジーノとレオナルドに想いを馳せる】
ペルジーノが「レオナルド!」て呼ぶ率の高さよ。それだけ気にかけてんだろな。お兄ちゃんだもんね。ほかの工房メンバーとはちょっとレオナルドに対しての目線が違う気がします。
澄輝さんがお茶会で言っていた「ペルジーノにとってレオナルドは大事だけど遠いひと。近づきたいけど近づけない」が見ててその通りだなと思いますし、「だけどレオナルド自身の事は好き」というのが彼の真意であり一番大事なとこなんだろうなと。レオナルドの才能はもちろん意識するんでしょうけど、それよりも友人としてレオナルド自身の事を気にかけられるひと。「職人」と「巨匠」という(他人が勝手にひいた)線を飛び越えて、友人同士「人として」のレオナルドを気にかけられる心の持ち主。そんな風に思います。

 

 


そして残念に思うとこ!

 

【感情移入の難しさ】
なんか感情が動かない。ストーリー??
真ん中らへんのカーニバルはたのしいけれど…
集中力がどうしてももたない。それが本当に残念でした。登場人物の気持ちがつかめない。

正直、みんな、何がしたかったのか、行動の目的がなんだったのか、そしてそれを達成できたのかできなかったのか、そのあたりがわからなくて上手く消化できませんでした。


モナリザ バーン】

大変に無粋な感じがした。世界が崩れるというか。
どうしてもモナリザに結びつけるのなら、絵そのものを見せないで、演技で表現して欲しかったです。客席がまどかちゃんで思い描く「想像」のモナリザがよかったです。だって実際のモナリザは違うひとをモデルにしているのだから。見せたらだめだよ。
そして本物の絵を大きく拡大されたのも実に冷めた気持ちにさせられました。本物のモナリザはもっと小さくて、大きさそのものに美しさがあって、意味があったと思うので。


【自由とは】
この作品でいう「自由」てなに?これが一番わからない。飛べない女の子の話なのに最後まで飛ばないからモヤモヤする。なにが彼女の自由なのかわからない。
死ぬ間際に「こんな気持ちはじめてよ」って言うけど、なんで?死ぬことが飛ぶことなの?それとも初めてグイドの意向に逆らって街を出る選択をしたから??だとしたらタイミングがよくわからないよ…
結局、彼女は飛んだのか?飛ばなかったのか?私がわからなかっただけで、実は飛んだことになっているのか??
どちらでもいいが、「わからない」というのが一番もやもやしました。お話の根幹の部分だと思うからです。この作品のテーマとは。


レオナルドも「ただ自由でいたいだけだ」ってお父さんに言うけど、結局自由は手に入れたのだろうか?彼の望みはどうある事だったのだろう。


わかんないよー助けてかしこいひと

 

 

最後に。

 

群舞。

あかいふくきたかっこいいひとがいる。

 


\(^o^)/

【白鷺の城】いいのかい?こちとら厨二病キャリアだぜ


「おのれ!またしても…!」
「そう…またしてもだ…」

 


これこれこれ!!!
こういうまかまど観たかったんです!!!!(落ち着いて)

 


妖狐界のカリスマまどか様。
時をかけるイケメン真風様。


設定だけでもう大勝利です。大変おいしいです。ありがとうございます。
夢で幾たびも出会う相手。何度生まれ変わっても魂は同じ。今生では叶わねど終わりではなく、「次の私」がまた彷徨う。CLAMPを彷彿とさせるときめきですね。最高。最高です。
よかった自分が中学二年生の時にこの作品と出会わなくて。


まかまどの、こう、デロデロしすぎない感じが大変好みでした。
自立している二人の関係が好きなんだなきっと。


まどかちゃんが一見、可憐で少女らしいから余計にぐっとくる設定だと思うんですよね。
やっぱり個人的に、まどかちゃんは典型的な「守られる」系の女の子より、強くてかっこいい感じの方が好みです。玉藻前様みたいな。
いやほんとに玉藻前様好きだ。


こういう、可愛らしさの中に強さのあるまどかちゃん、大好きです。
「見忘れるものかや!!」うん、最高ですね。


お衣装は、平安の長袴が妖しくて好きです。(余談ですが「長袴」という言葉がわからなくてお友達に「長い…ズボンみたいなの…」と言ったらこの言葉を教えてもらいました。覚えました。)禁欲的なのに吸い寄せられる感じにぐっときます。対して、妲己のお衣装のモフモフは開き直っててそれはそれで人間ナメている感じがあってとっても良いです。まどかちゃんに大変似会う!もっとお写真ください!!


そしてまた真風さんが文句なしのイケメン陰陽師なのでときめきが半端ないです。平安の場面で綺麗どころを侍らかしながらゆるりと登場された時には「はーーー」てなりました。文句のつけようのないイケメン。いつの時代でもイケメン。
そんな真風さんが空に五芒星を描いたり、扇子を咥えたり。誰だそんなこと思いついたの。大野先生ですね心からお礼申し上げます。
真風さんに「斬ッ!」て言われて散りたい。

(ちなみにこの「斬ッ」も最初わからなくて、お友達やフォロワーさんが教えてくれました。いつもありがとうございます。)

 


全体的に華やかな色味が新鮮でそれだけで心踊りました。加えて、どちらかというと現代的で雅すぎない音楽とのバランスが結構好みでした。


残念なのはチョンパがなー!典型的なのものを期待していただけに惜しく感じました。それでも「わあっ」とはなるのだけど。「新源氏物語」などで典型的なチョンパがもたらす感動効果の高さを知ってしまったので、宙組でも見たかったなって。なんていうか、もっとやれた、と思ってしまうのです。それを差し引いても華やかですけどね。平安の鮮やかな色味、ほんとに好きです。ちょっと涙がでるくらい。あの独特のユメユメしさには心動きます。

 

あとフィナーレのお祭ね!楽しくていいね!!人員を出し惜しみしない事が宝塚の良さのひとつと思っており、舞台が人でいっぱいなのが好きなのです。賑やかで華やかで明るくて良い場面。どこか殺伐と追いかけっこをしてきたまかまどが、生まれ変わって、今度こそふんわり幸せに恋をする。ああーー運命っていいなーハッピーエンドっていいなあーーー


全体的にはそんな感じです。

 


以下、細かい色々です。

 


【これは良いれいか様】

上皇様が好きすぎてたまらんのです。「どうした?玉藻前」というセリフのゆったりさ…なんといえばいいんだろう、絶妙な「おじゃる感」というか…。お狐ちゃん達にたぶらかされている時の恍惚としつつも品がある雰囲気が大変よき。こういう凛城様もっとください。

 

【お狐ちゃん達】

けもみみ祭りだー!!コンコンする宙娘ちゃん達が最高にかわいいです。飛び方が好き。「ぴょんぴょん」じゃなくて「ひょいひょい」って感じの飛び方(伝われ)。任氏ちゃんや八重ちゃん以外も、みんなそれぞれお名前のある個体なのかしら。


【古代中国のえび様】

最高です!!!も、ほんと…最高です!!!(語彙)なんなんだろう。まさに狐。コンコンッて鳴き声きこえてきそうな。お化粧も、表情も、なにより動きのひとつひとつがほんとにコンコンしてて、大変素晴らしかったです。ずっとみていたい。

 

【白鷺城戦】
開門!からの流れがRPGのボス戦ぽくて好きです。お狐ちゃんたち→中ボス戦→からの本丸まどかちゃん、というセオリーをちゃんと踏んでいる感じ。ドコドコしている曲も好きです。メインテーマのラスボスアレンジって、滾るものがあるよね…

欲を言えば、すっしーさんにはりんぴょう…でそれぞれ手印を結んで欲しいです←


玉藻前様の封印】
玉藻前様ていつ封印されてしまったのだろう。それだけわかんなかったです。封印されるシーンはないですよね?基本的に取り逃がすか見逃すかのジェントル対応でしたよね真風さん。封印されるエピソード欲しかったなー、無くてもお話は理解できるけど、単純に、そのくだりが観たかった。

 


【日本物 × 澄輝さやと様】
大  正  義  ! ! !
信じてた。私、目元に朱の入った澄輝さんが見られるって信じてた。


なんでしょうね、錦上花を添えるとはまさにこの事でしょうかね。どんな表情も堪らなくお美しかったです。


真風さんが転生する度、大変に見目麗しい方が同じく転生してはいつも近くにいるものだから、もしかして魔性のものなのではと心配しちゃいましたよね。大丈夫かな、真風さんに正体気づかれたら「斬ッ」されちゃうかな。気をつけてほしい。


とにかく舞の動作のひとつひとつが大変に雅やかで。翻す手の美しいこと。前世は公家とかそういうご身分でいらっしゃいました?お祭の場面なんかはこう、お忍びの若様が如しでした。日本物でもロイヤル。


ところで狐のお面をかぶった澄輝さんが出てきた時はほんとどこの二次創作かと思いましたよね。しかも見間違いじゃなければおててコンコンされてましたよね??んーやっぱり妄想だったのかな(^o^)そうだよね(^o^)そんな都合の良い公式あるわけないよね(^o^)


……本物なんだよなあ(^o^)

 

 

そのような事を考えながら観ています。

他にも愛月さんと松本先生の苦しくも美しい離別、美風さんと花音さんの貫禄、武人達の熱、女化ヶ原での「まどち爆誕」…いろいろとツボが多いです。特に武人達ね、妄想の風呂敷を広げたら大変なことになりそうですよね。

 

あと何回観られるのかわからないけれど、千秋楽まで楽しみたいと思います!!

梅芸版「West Side Story」-叶わなくたって願い続ける

 

 

Somedayは来ない。

Somewhereは見つからない。

私達はそれをどこかでわかっていながら、それでも愛と平和を願わずにはいられない。

 

*****

梅芸版 宙組公演「West Side Story」を観ました。

 

不朽の名作と言われる本作。映画版が特に有名ですよね。

周りにも、舞台は初見だけど映画は観たことがあるという方が多かったように思います。

私も高校生の時に映画を観たのがこの作品との出会いでした。

当時、映画版トニーとマリアは高校生の私には「ザ・のぼせ上がり」に見えてしまって、あんまり応援できなかったなあとぼんやり覚えています。(そして、だからこそ伝わる映画版ならではのメッセージがあるのだろうとも思います。)

 

この夏観た宝塚版は、真ん中ふたりの幸せを願わずにはいられないし、ジェッツもシャークスも、大人も子供も、みんな認め合って許しあって平和になって欲しいと、そんな事を本気で願ってしまうような世界でした。

宝塚ならではの純粋さに満ちた空気の中でしか、私はこの感想を抱けなかったと思います。外部発祥のミュージカルでありながら、宝塚らしくギリギリまで生々しさを省いた世界で、男女の短絡的なのぼせ上がりはあまり感じさせず、主役ふたりが純粋に好きあっているのが伝わる空間でした。シンプルに、幸せになって欲しいと思わせられる。これは宝塚版の醍醐味だなあ、と思うのです。

 

一方、ジェッツとシャークスも、やはり宝塚で観ると、純粋で、幼くて、だけど彼らなりに一生懸命に生きている若者にみえます。なので、結末に対して誰が悪いのかは私にはわからない。刺したトニー?ナイフを出したリフ?それともベルナルド?マリア、アニータ、ジェッツ、シャークス、警官、社会…なにがどうあれば良かったのか。幸せになって欲しいのに、幸せにできる方法がわからない。誰を責める気持ちにもなれない。だけど「不幸」で片付ける事もできない。苦さの残る作品です。

 

「差別」という一言では表せない、複雑な問題を扱っているお話だと思います。だって、じゃあ皆がフラットに、誰に対しても嘲る事も貶す事もなく、無菌室みたいになれば「平和」なの?そういう事でも無いと思っています。そもそも、それらの感情が世の中から無くなる事は、きっとない。

 

けれど、それでも、最後にぺぺが伸ばす手に、私は希望も見ました。一気に何もかもを平和にする事は出来ないけれど、そうやって少しずつでも変わっていけば、残った彼らの未来は「ひどい世の中」より少しは明るくなるのではないか。『人は変われる』。ぺぺのように。マリアの手に応えたアクションのように。参列に加わったメンバーのように。当然、皆が皆そうなる訳でも無ければ、変わる幅も人それぞれだけれど。でもその事実が、ラストシーンで、私の感じた唯一の希望であり、この作品の大きなメッセージだと思うものです。

 

 

真面目に語ってしまった。自分は幸いにも現代の恵まれた環境で大変幸せに過ごしているので、これからも大好きな周りの人達を大切にして生きていきます。

 

 

全体的にはそんな感じです。

以下、細かい感想です。

(セリフや歌詞はうろ覚えのものも多く、ニュアンスで書いています。)

 

 


********

 


【真風さんと澄輝さん】

トニーとリフのまかあき芝居最高じゃないですか。最高ですよね。なんなんでしょうねあのバランス。まず見かけからしていいですよね。澄輝さんと真風さんのシルエットの対比がほんと極上。背はそんなに違わないのに、身体つきの種類が違う。バディ感ありますよね。まさに「俺とお前」。

そもそも澄輝さんをここまで好きになったきっかけは、「王家に捧ぐ歌」でのエチオピア三人の空気感、そして真風さんとのお芝居でした。ウバルドとカマンテはあまり台詞は交わしていないけれど、説明されなくても関係性が伝わるお芝居や、お二人の醸し出す雰囲気が本当に好きでした。

その後、「バレンシアの熱い花」で改めてお二人のお芝居が好きだと実感して、なんかもう気づいたら鹿児島まで飛んでいたよね。

そんなお二人のトニーとリフ。やっぱり、台詞で説明されなくてもわかる空気感があって、二人の過去なんかも見えてくるようでした。何より、気持ちがすれ違っている事、だけど間違いなく大切に思い合っている事が、痛いほど伝わるお芝居でした。

また観たいなあ、まかあき芝居。

 

【トニーとリフ】

置いていく人と、置いていかれる人。ただし、その事にリフは気がついているけれど、置いていく方のトニーは全然気がついていない。切なすぎる。

リフは昔に固執しているというか、「トニーと作ったジェッツ」を大事に大事にしていて、トニーがいなくなる事は彼の中できっとジェッツが終わる事に等しい(トニーのいないジェッツはジェッツじゃないというか)。

一方、トニーはそんなリフを置いて「生まれて初めての何か」に走っていく。なのに、リフが自分の人生からいなくなるとは思ってもいない。自分が置いて行っているのに。自覚なく、無邪気で、やはり若いんですよね。リフを突き放しながら、ベストマンはナチュラルにリフだと思っているそのアンバランスさは彼の罪だと思います。

だけど、間違いなくお互いを大事に思っているのも本当で。爆発しそうな他メンバーを窘めてきたリーダーのリフ、そんな彼をキレさせたのはトニーを貶した行為。一方、「新しい何か」で頭がいっぱいでお空を飛んでいたトニー、そんな彼にマリアを忘れさせたのはリフが刺された事だった。お互いがお互いの唯一の弱点みたいな二人だと思います。

それなのに、リフの声はトニーに届かないし、トニーの声はリフに届かない。リフは何度もトニーをケンカに引っ張り出そうとするけれど、トニーはリフよりも「初めてのなにか」に夢中で碌に向き合わないまま物語は進む。一方のトニーも、決闘中、抑えられながらすごい声で「リフ!!」とようやく叫ぶけれど、その時にはもうリフには届かない。オフマイクなのに聞こえるその叫びが本当に苦しかったです…。

物語を通して、トニーはマリアとリフの間を行ったり来たりしますよね。リフに誘われて一度は断ったダンスパーティーに結局行ったり。ランブル前のTonightでリフの「お前と俺で守らなきゃ」に「そうだな」って言ったり。いや決闘止めに来たんだよね?と思うシーンなのですが、トンチキなのではなくて、つまりやっぱり子供なんだって事だと思います。トニーだけじゃなくて、みんな。不安定で、定まらなくて、「俺(私)たちが最強」という理想とうまくいかない現実のギャップに苦しむ。

リフとトニーは、どうなりたかったんでしょうね。二人がお互いに求めるものに、本質的な違いはないように思えています。二人にもう少し長い未来があったら、それぞれがどんな選択をしても、お互いが大切である事は変わらなかったのでは。本編ではすれ違ったまま終わってしまったけれど、違う未来もあったんじゃないかなあ。「これ、空に見える?」「かっこいいよ」。そんな風に、呆れつつも受け止め合いながら進む未来。この二人も、幸せを願わずにいられない、私の中でもうひとつの「主人公達」でした。

 

母ちゃんの腹から墓場まで!!

生まれる前からあの世まで!!

 


【ベイビージョン】
かわいくて、怖がりで、素直な子なんだと思います。喧嘩っぱやいジェッツの中では少し異質に感じます。「やめとこうに一票!」「ゴミの投げ合いじゃだめ?」「怖いよおー」等々、全然つっぱっていない場面が多く、なんで不良やってんだろ?と思う事もあります。が。

クールの場面で一番おどろおどろしく踊るのも彼です。このシーンでハッとされた方も多いのではないのでしょうか。彼には深い深い闇がある。

普段つっぱっていない分、彼の闇を見るのは一層怖いです。なんなら本人も常時は忘れているのではないかと思います。出来る事ならその闇を掘り起こさせるような事がこの先多く起こらなければいい、というのは私の勝手な願いです。


もうひとつ。
人間のクズだわ!が頭から離れません。なんですかあの超絶技巧みたいな演技(笑)。思い切った高音の声、ステレオタイプな女性ソーシャルワーカーでありながら、ちゃんとベイビージョンという役の範囲に収めているというか。うまく言えない。うん、超絶技巧。


彼は言われたのかな。あの声で。人間のクズだわ!て。


総じて、秋音光さん上手すぎませんか。

 


【エイラブとベイビージョン】
現代を比較的平和に生きている私の目線ではやはりジェッツは「特殊」で、すぐトラブルを起こすのは「そういう」ひとたちだからという感覚になりがちなのですが、エイラブとベイビージョンの掛け合いを見るたびにそうではない事に気付かされます。
彼らも喧嘩は怖いと思っていて、友達を大事に思っていて、なんか別にかわんないんですよね。決闘の後の二人は特にそんな感じです。

 

 

【エニボディーズ】

二幕でアニータが襲われている時、そこに加わるのではなく、遠くで膝を抱えて目を塞いでいたのがとても印象的でした。

一方、「スカートでも履いてろよ」という攻撃に対する「膝が汚ねえんだよ」の返しは余裕があるなあって思いました。将来について聞かれた時の「コールガール」も。彼女は彼女で色んな経験をしてきているんだろうなと感じさせられる受け答えでした。

エニボディーズはどうしてジェッツに入りたかったのでしょうね。夢の世界で、シャークスとも手を繋いで、自由に踊る彼女のなんと清々しかった事か。あちらがきっと本来の彼女の雰囲気なのではないかなあ。彼女の未来はコールガールじゃなくてあれがいいなあ。

 

 

【クラプキ巡査ソング】
あんな決闘の後にコレを持ってくる容赦なさよ。最強の言い訳タイムですよね。でも、だからこそ伝わる彼らの動揺と幼さ。

「愛情足りてない」などもほんとにそう思って言っている訳ではないですよね。愛情がほしくてグレているんだって言っている訳じゃなくて、これも周りが彼らに押し付けているレッテルで。「愛情が足りていないんだわ」って。んで、彼らとしては「そう言っとけばいいんだろ」って。そういう風に聞こえています。

この曲、比喩じゃなくて本当にそれぞれ言われてきたことなのかな。ああやって色んな機関に「たらい回し」にされたのだとしたら、大人の言う事を聞かない彼らをどうして責められようか。その上でたどり着いたのがジェッツなのだとしたら、どうしてそれを否定できようか。そして彼らが最後にたどり着く結論は「ぶん殴ろう」だからなあ…それをあんなに明るく、ちょっとラリ入ってる感じで歌われるとなあ。苦しいわ。

ひどい世の中しか、俺ら知らねえよ、ドク。

 


【ドク】
なぜドクは彼らの溜まり場になる事を受け入れているのでしょう。ジェッツとドクの間にあるある種の信頼感みたいなのはなんなのでしょう。ドクに反発しながらもリフ達は結局お店に集まるし、彼に暴力は振るわない。ドクには見捨てられたくないって思っているように感じる場面もありました。ドクに怒られなくなったら終わりみたいな。

ドクは、小言は言うけれど、彼らをチンピラ呼ばわりしたり馬鹿にしたりはしないんですよね。クラプキ巡査ソングに出てくる大人達と違って。でも最後の最後、アニータを襲ったところでもう抱えきれなくなってしまったのだと思います。

ドクにはもしかしたらジェッツみたいな、あるいはそれ以上に社会に虐げられた過去があるのかもと思っています。だから彼らに少し寄り添えるのかも。「この街一番のボンクラが文句なんか言いませんよ」とシュランクに言っているように。ドクにはマリアはいなかった=ドクが何かに許されないでいる、という事なのだとしたら、あの場所でドラッグストアを営み、青年達を受け入れているのは何かの贖罪なのだろうか。

 

 

【ベルナルド】
愛が深くて優しいひとだと思います。家族を愛し、仲間を愛し、アニータを愛しているひと。ただし、厳密に人を選ぶ。「俺は憎い相手とは飲まないし握手もしない」。つまりそういうこと。
彼の優しさはアニータを見ていると間接的に伝わりますよね。彼女がお洒落をアピールするのはちゃんと褒めてくれるからだし、強くいられるのは受け止めてくれるベルナルドがいるから。
あと、ダンスパーティー前、今夜は大切な夜だと喜ぶマリアに言う「なにが?」の声色が本当に好きです。優しいお兄ちゃん。とても自然。だから本当に辛いです。マリアやアニータが奪われたものがなんなのか、とても良くわかって。

あとはもう愛月さんがとにかくカッコいいです。アニータのショールに口付けながらの「エトセトラ、エトセトラ…」は正直顔が熱くなりました。なにあれずるい。

 

 

【アニータの歌詞の変更について】
決闘前のTonight(クインテット)の場面、フォーラム版ではアニータは「朝まで私を抱く」と歌っていたのに対し、梅芸版では「朝まで彼にかしずく」という表現になっていたかと思います。
私は結構この表現が好きです。単体で見るとモヤっとする言葉なのですが、ダンスパーティー前のブライダルショップでアニータかマリアに「あいつらと踊ってあっという間に"かしずく"羽目になってもしらないわよ」と忠告しているからこその歌詞だと思っています。かけてますよね。
ああやってマリアには言った「かしずく」だけど、相手によっては嬉しい事に変わるんだっていう感覚が素直で好きです。アニータはベルナルドに惚れているんだねえ。

 


【フィナーレ】
2時間半の間で最も涙があふれる数分間です。

ジェッツとシャークスが肩を組み、シュランク警部補やクラプキ巡査も一緒になって若者を「マンボ!」と囃し立てる、そんな世界。

本編でのダンスは争うための媒介だったけれど、ここではみんなが笑顔で嬉しそうにダンスをしていて、どうにも胸が熱くなります。夢みたいなダンスパーティー。具現化したサムウェア。本編では叶わなかった世界。

 


【リフ】

澄輝さんがリフをされるとわかった日、本当に飛び上がるくらい嬉しかったです。観る前から絶対にカッコいいと確信していました。そして実際に舞台で観たリフは、想像の何ッッッ億万倍もカッコよかったです。

リーダーだと納得する風貌。キレのあるダンス。迫力のあるがなり声。トニーとの空気感。破裂する若さと熱。想像を容赦なく超えていく澄輝さんのお芝居に震えました。

何人もの方がおっしゃっていますが、ダンスパーティーは本当に圧巻ですよね。周りを圧倒させながらガンガン踊る澄輝さんと綾瀬さん。もう、カッコいいを通り越して暴力的ですらあったあった気がします。ダンスで殴られた。攻撃的なエネルギーに、気がついたら見ているこちらも息が浅くなっているような、そんな体験でした。

あとはやっぱり一連の「クール」の場面、言葉にできないくらいカッコよかったです。激しいダンスをやはりすごい切れ味で踊るリフ。激昂しそうな仲間を手で制するリフ。取り乱したアクションに足を引っ掛けるリフ。そもそもあの黄色ワイシャツ×ネクタイ×スラックスが似合いすぎているんですよね。ああ、『指パッチン+地面指差し』のコマンドで呼ばれたい。取り乱しました。すみません。クール。日常で何か心乱す事がある度、脳内リフが「クールにな」って言ってくれるようになって助かっています。

 

最初に観た時、「ジェッツはリフがいたから上手くまとまって来られたんだろうな」と思いました。澄輝さんのリフは、熱いながらもちゃんと考えていて、無駄な喧嘩をしたり、意味なく人を傷つけたりしなさそうというか。ジェッツがただの寄せ集めじゃなくてチームでいられたのは、彼がいたからだと思いました。"ジェッツのリーダー"としての説得力に溢れていました。その上で、公演期間中にリフの未熟さがどんどん表に出てくるようになったのが本当に印象的でした。最後に観た回、リフは、未熟で、イキってて、自分をコントロールなんて実は出来ていなくて、無駄な喧嘩もするし短絡的な面もある若い子どもでした。よりリアルで、腑に落ちるリフでした。すごい体験をした気分です。そうやって、いつだって想定の遥か先を行かれる澄輝さんに心奪われているのです。

 

 

 

********

 

"吐き出さないとやってらんない"。それはトニーも、リフも、ベルナルドも。他のメンバー達も。壊れた水道管みたいな人たちの二日間。

 

West Side Storyの感想は書けば書くほどよくわからなくなってしまって、千秋楽から一週間が経った今でも気持ちの明確な着地は出来ていません。

ならばいっそまとまらないままでいいかと、それが正直な私の感想の形だと、いつも以上にぐだぐだ書いてしまった気がします。

 

冒頭でも書きましたが、私はsomewhereはないと思っています。いつでもどこでも争いは起きる。理不尽に。

でも、だからといって愛と平和を願う事をやめたりもしません。きっとこれからも私も傷ついたり逆に傷つけたりしながら生きるのだろうけど、せめて自分の手の届く範囲くらいは、愛と尊敬に満ちた世界であれるよう頑張り続けよう思います。

 

長々と書いてきましたが、本当に言えるのは、これくらいです。

 

この公演を観て、誰かの行動が、愛と平和への願いのもとに少しでも変わるといいなあ。

そして明日は今日より少し、平和になりますように。

 

トニーが描いていた、空飛ぶ紙飛行機の看板みたいに、誰もが、自由に、平和に。

 

そう願います。

 

私の観ている『天は赤い河のほとり』。

 

原作漫画に出会ったのが約20年前。その時から大ファンでした。


宝塚にハマる前は主に二次元作品界隈(漫画とかアニメとか)で楽しくオタク活動をしていた私ですが、この作品に関してはいわゆる「原作ヲタ」という感覚ではなくて…
純粋に、作品に出会った時から今まで、ずーっと事あるごとに読んできたホーム的な漫画という感じです。約20年分の思い入れがあります。
そんな慣れ親しんだ世界に、十数年ぶりに新しい要素(舞台化)が加わる事になって。
しかもそれが大好きな宝塚で。
嬉しかったり、ちょっぴり複雑だったり、でも結局原作も宝塚版も好きだと思っているひとの、深夜の語りです。


自分の気持ちの忘備録として。

 


※漫画版・宝塚版両方の内容に触れています。
少しでもネタバレを避けたい方はお気をつけください。


※最初の方はひたすら原作との思い出をメモしているので、舞台については少し先まで読み飛ばして下さい。

 

 

 


「はじめて連載を追いかけた漫画」を覚えている人って、どのくらいいるのでしょうか。
漫画『天は赤い河のほとり』は、私が生まれて初めて定期的に漫画雑誌を読むきっかけになった作品でした。


連載中、まだ小学生だった当時。誰が持ち込んだのか、家に『天は赤い河のほとり』のコミックス1〜13巻がありました。なんとなく目について13巻を手に取ったのが出会いでした。
今でも覚えています、13巻の表紙を見て最初に思った事は「この女の子パンツみえてるよ!?」でした(笑)真面目な子供でした。
そして真面目な私はちゃんと1巻から読み進めたのでした。


今思えば、当時の自分が読むにはいささか肌色が多めだったのでは…とも思うのですが、幼かったからか逆に気になりませんでした。
すぐにストーリーや世界観、キャラクター達が大好きになり、のめり込むように読みました。
そして、当時の最新刊だった13巻にたどり着いたのです。

 


13巻がどこで終わるか知っていますか。
ユーリとカイルは今生の別れを告げて、それぞれ別の戦場に。
さらに、日本に帰るためハットゥサへ急ぐユーリ。
一方、ラムセスに射抜かれるカイル。


…ちょっと待って、ユーリ帰って終わりなの?カイルは死ぬの??ユーリ帰っちゃったらカイル死んでもわかんなくない??続きをください!!!


ってなりました。
今でも覚えている、強烈な感覚でした。

 


当時、この作品は『少女コミック』(※現sho-comi)という雑誌で連載されており、比較的大人向けの漫画雑誌だったため、同年代の友達の中には読んでいる子はおらず。
どうしようかと思っていたら、身内の大人で読んでいる方がいた(コミックスを持ち込んだ張本人)ので、続きを読ませてもらいました。しかも数ヶ月分溜め込んでくれていたので無事にコミックスの続きから読めました。よかったユーリとカイルが再会できて。


その方は、その後も本誌を自由に読ませてくれました。時には発売日に一緒に買いに行ったり。楽しかった。そうやって一緒に楽しんでくれる大人がいたというのも大きかったです。ルサファが"炎夏の秤"にかけられた時、どうやって脱出するかを次の号が出るまであーだこーだ推理しあったのは良い思い出。

 


そんなこんなで、毎月2回の『少女コミック』発売日を心待ちにする人間が出来上がったのでした。
私にとって、はじめて、漫画雑誌で物語を追いかけるという事をした日々でした。

 


そして当時きっとヒットしていたのだろう本作は、親戚達のお家にもあったりして、大人達だけで騒いでいてヒマな時など個室にこもってひとりでこのコミックスを読んでいるような場面も何度かありました。
(たいていこの「天は赤い河のほとり」と、「有閑倶楽部」と、「BANANA FISH」のどれかは誰の家にもあった気がします。私の周りだけなのか。類友なのか。)


そして自分の家でも、読みたくなったらまた読んで。何度読んでも面白かった。成長するにつれ、自分の感じ方が変わるというのもあったのかもしれません。今でも1〜2年に1度、読んでしまいます。そしてその度に、やっぱり面白いなと思うのです。

 


幼少期に好きになった物語というのは、それにまつわる数々の思い出と一緒に、心の何処かにいつもそっと置かれているような感じです。
私にとってこの作品はそういうものでした。中高生の頃にハマった漫画達とか、友人と萌えを語り明かした漫画達とは少し違う位置付けです。
ある種ノスタルジーに似た感覚があり、この漫画に関わる人生のあらゆる場面の記憶と一緒に、大事に心に置いていました。

 


そして時は流れて2018年。ツイッターで流れてきたニュースで、宝塚での舞台化のニュースを知りました。その時のツイートがこちら。

 


2017/8/22  
うぐおおおおおお『天は赤い河のほとり』は私のバイブルなんだよおおおおおお!!!心の!!聖書!!!Bible!!!!好きすぎて特別すぎてもはや聖域なんだよぉぉぉ心が追っつかないぃぃぃぃとりあえず先生が喜んでるのが嬉しいよ!!

 

 


気持ち悪いくらい狼狽えていますね。「とりあえず先生が喜んでるのが嬉しい」とか言いつつ、どうみても動揺している。

 

 

 


安心しろ、私。
幕開き5分。小柳先生と下村先生がくださったオープニング、あれを観てお前はすぐに成仏する。

 

 

 

 


前置きが大変長くなりました。
そんなしがない原作スキーの目線でみた宙組公演について、つらつらと書いていきたいと思います。

 

 

 


【とにかくプロローグが最高である】
ほんとに序盤で安らかに成仏しました。
ああああかっこいい、みんなかっこいいよーーーーおおおおお
アニメのOP感あって最高にアガります。
例えるならアニメ第1クールの胸熱OP。掴みはバッチリ。
あれですね、第3クールあたりに主人公の反撃シーンでバックに流れて鳥肌たつやつ。舞台でも最終決戦で流れましたしね。
胸熱なメロディがまず素晴らしいですよね。そして次から次へと歌い継ぐメインキャラ達。なんなら【マッティワザ (cv. 愛月ひかる)】みたいなテロップが見えました。


2000年代のアニメ・ゲーム感があってほんと良いです。あれだ、比較的大人向けな大作ファンタジーもの…。そう、十二国旗…うたわれるものナムカプ…うっ…なんかそういう感じ。超刺さる。


そんな私は「や、く、そ、く」の振りが大好物です。

 


【全体的に楽曲が素晴らしく好み】
メインテーマの次に好きなのはマッティの登場音楽かもしれません。カッコよすぎでは??曲の使い方が完全にRPGですよね。途中でムービー挟まるタイプのやつ。戦闘シーンでのアレンジもかっこいいー。


RPGといえば、プルリアシュ祭の音楽もゼノギアスとかドラクエの民族系のテーマソングを彷彿とさせて楽しいです。
あと、三姉妹ソングのピコピコした音も。かわいいよー


そしてとても世界観が表れているなあーって思うのが、最後の「戴冠式(マラシャンティア)」の曲です。
"明けの明星"感があってすごく好きです。ハットゥサの空気を感じます。朝日が昇り始める爽やかな外気、乾いたオリエントの風、パンの焼けるにおい。人々の話し声。動き始める街。ハットゥサの朝。そして、新しいヒッタイトのはじまり。一番、原作の雰囲気を感じる曲かもしれません。

 


【散らばった原作ネタ達(私の興奮ポイント)】
随所に「気づくひとは気づく小ネタ」がたくさんあるのも楽しかったです!


・セットの両横のライオンは、「イシュタルは獅子を従えている」という説からなのだろうか。


・冒頭の姫たちが、原作の後宮編での正室候補達をモチーフにしていますね!
髪型とかだけじゃなくて、歌詞も。
原作では死んでしまう姫様方が、楽しそうに笑顔で歌っているので、実はちょっと涙が出そうになります(そういうシーンではない)。毎度、隣の人に引かれてないか心配です。


・まいあちゃんが歌うバビロニアの歌、10巻あたりでナキア様が故郷を思い出していた時のフレーズが入っている。


・「赤い獅子」=原作で、ユーリ率いる近衛隊の旗が「紅の獅子」。ちなみに原作カイルの旗はイシュタルのモチーフ。ユーリ大好きか。知ってた。


・「イルヤンカの瞳」や、「カイルの乳香」も原作ミタンニ編のネタですね。


・カッシュの髪飾り。これは和希さんも度々語られていますけど、ウルスラがいた痕跡に胸がぎゅっとします。


・ユーリに褒められて露骨に喜ぶルサファ。黒曜石のペンダントもついてるー(涙)


・冠のデザインが原作風!!


・三姉妹が剣を扱う時の腰に手を当てているシルエットも、ほんとに漫画から出てきたみたいで、ときめきましたー。

 

 


【しっかり少女漫画】
至るところでちゃんと少女漫画してて、最高でした!!

まずなんといっても、
「すけべ、エッチ、へんたーい!」
「ははは、そんなに喜ぶな」
からの、
「大丈夫、何もしないさ。…今はな。」


…カイル様ーー!!!(笑)
そんな、乙女ゲーかと思うくらいベタベタな台詞をっ…!!最高です!!!
あーーなんだこれ、劇場じゃなかったら手足をジッタンバッタンさせてるところですよ!!!!


時折する、「ニホン?」「らぶれたあ?」みたいな言い方も、トリップもの感があってときめきます。

 

そして極め付けは、誰が名付けたか「ヘッドロックキス」。
あの手の回し方!!ガッ、て、なにあれーー!!!(笑)


真ん中ふたり以外にも。キックリと双子がちゃんとフラグ立っててキュンとしました。
お祭での「愛する人、その手を伸ばして捕まえてよ」でキックリがふたりに手を伸ばしていたりとか!

 


【はじめてラムセスをカッコいいと思った←】
原作を読んでいた時は完全にカイル派だったため、じつはあまりラムセスをカッコいいと思った事はなかったのです。が。
…なんだあのイケメン!!!なんてさわやかな「嫁になれ」ソング!!!!
正直一番人間が出来てると思います(笑)カッコいいよラムセス!!


個人的に一番ツボなのは、最後のエジプト戦でのこのセリフです。
「心配なら…もう二度と離さない事だなあ!(アドバイス)」
↑本当にいいやつでは???

 


【ユーリがかわいい。】
なんなんでしょうね。雰囲気がとってもユーリ。たまらなく可愛い。存在が少女漫画のヒロイン。好きです。
謁見の場面や戴冠式でかつらを変えるようになってから、より一層かわいいです。


髪の毛アップにして、ヒラヒラ服着たら驚くほど可愛くなる設定の原作ユーリ。
という少女漫画的な効果を地でいくまどかちゃん。すごない???


まどかちゃんのユーリに関してはとても印象的だった事があって。ある日の観劇中、お祭での彼女が本当にユーリに見えて、一緒に古代オリエントに連れて行ってくれたような感覚になった事があり、それが強く心に残っています。「まどかちゃんありがとう…」て涙が出て、原作ファンの私は何度目かの成仏を迎えました。我ながら重たい。

 


【さまざまなif】
原作とは違う結末を迎えたキャラクター達に対しても、原作ファンならではの感情があります。


まずウルヒ生存√に涙。これはこれで、マイルドめで心に優しい、良い結末なのではと思います。


そしてルサファ生存√にも涙。原作では見られなかったユーリの即位に、笑顔で立ち会えている彼を見ているとね、ほんとね、涙がね…。


あと、明言されてはいないけど、現代では氷室と詠美がくっついたという事なのかな?だとしたらこの二人にもディープなエピソードがありそうですね。読み切り一本かけますね。

 

 


【個人的なこと】
天河(てんかわ?そらかわ?)→20年くらい「そらあか」って(勝手に)呼んで生きてきたため、『天河』に馴染めず、使えないという謎のしばりプレイ状態です(笑)。なので私はこれからも「天は赤い河のほとり」と正式名称で書いて文字数を消費するひとでいます(^o^)

 

 


【ご贔屓のネフェルティティ様(女役)について】
配役を見たときは、女役だし悪役だし、楽しみしかない!!(笑)という安易な感じでした。
普段見られないご贔屓のお姿が見られる事は、単純にファンとして嬉しかったです。


そして実際に観たネフェルティティ様は、神々しさの中に人間らしさが垣間見える、切なく美しい王妃様で、そのような薄っぺらい期待の遥か向こうを見せてくれたのでした。


なによりも印象に残っているのが、その圧倒的な存在感です。
特にアケトアトンの王宮へラムセス達が結婚の報告に来た時のあの構図。
ネフェルティティ様だけが数段上にいて、他全員と対しているような絵面。
ひとり対全体、という状態でも釣り合いをとれてしまうその存在感に、震えました。


それでいて、ネフェルティティ様には適度な「ナメている感」もあって。三代に渡り権力を使い続けている内に、きっと彼女は変わってしまった。驕り、油断するようになった。でもそれは彼女だけのせいではないと思うのです。そこに切なさを感じます。そう思わせるのは、それでも損なわれない気高さや、根底にある悔しさなどを澄輝さんが感じ取らせてくれているからなのではないかなあと思っています。


もうなんか、女役とかそういうものの先にあるものにただただ感動しました。
そんな澄輝さんが次回演じられるWSSのリフも本当に楽しみだなあーー

 


【総じて】
あの世界観はそのままに、ひとつのお話にしてくれて嬉しい、というのが初見の時から思っている素直な感想です。原作をただなぞるだけより、よっぽど難しいと思います。途中でちょん切るのでもなく、多少のご都合主義はあるものの、ひとつのストーリーにまとめてくれた。これは"宝塚版『天は赤い河のほとり』"というひとつの作品だと、本当にそう思っています。

 

 

 

 

 

 


**だけど原作ファンの私も叫んでいるんだよ!!のコーナー**

 


ここからは、私が「あああー」と思っているポイントや、ぜひ知ってほしいと思っている事を書きます。
なお、基本的に「宝塚の原作もの」は「2.5次元」ではないと認識しています。=原作の再現を目的としてはいない。
なので、以下の叫びは「だからダメ」という話ではなく、作品を否定するものでもないです。
ただ、原作に思い入れのある身としてここはこう思ったよっていう一意見であります。

 


【シュバスとゾラ】
兎にも角にも一番気になったのはここです。
シュバスとゾラがあんな風になるのはナキア様の『黒い水(=ひとを操れる薬)』のせいなんだよー!!って全観客に説明してまわりたい(迷惑)
見方によってはただ彼等が短絡的に裏切っただけに見えてしまうのが勿体無くてたまらないのです。
脚本として裏切った事にしているのなら、宝塚版だねって事でわかるのですが、そうじゃないじゃないですか。プルリアシュ祭の場面でウルヒが何かを嗅がせている。
ならば、見る人がみんな、操られていると気づく演出が欲しかったです。
あの子達いいやつらだからー!!ルサファもミッタンナムワも、あの子達が裏切ったら自分も死にますっていうくらいの信頼関係なんだよ(原作)ー!!隊長と副隊長ってそれくらいのものなんだよっ…
カイル様も、三隊長達も、誰も彼らが操られていたことを知らないままになってしまった。
イル・バーニあたりが後日、誤解を解いてくれていると信じているよ…

 


【タトゥーキアのイヤリング】
宝塚版の黒太子は、なぜ黒玻璃をユーリに渡したのかがどうしてもわからない。自分に立ち向かってきた女性だから…?それとも、カイル王子の唯一の側室だから?そしてユーリがそれを大事に持っているのはなぜ??あと、大事なものなので投げないで下さいマッティ様(笑)。
やっぱりナディア様(原作でミタンニ滅亡のとき唯一マッティの側に残った妃)がいないとマッティの行動に説明がつきづらいんだなあ、って思いました。原作では、ナディア様がいるから姉のものを手放す事ができた&ユーリを認めたからミタンニから無事に出すための手形として渡した、ユーリはそれに託された想いを知っているから大事に持っていた、という流れなんだが。あの尺では難しいね…。

 


【三姉妹】
三姉妹のユーリに対する姿勢が初見ではよくわからなかったです。ミタンニでアタリが強かったのが、ハットゥサに帰ってきたら「ユーリ様!」みたいになってたのが、「?」でした。きっとミタンニでユーリを見直したという事なんだと思うのですが、ミタンニ編のユーリは基本的に守られていて、三姉妹に惚れられるような瞬間はなかったと感じるのです。でも最初から三姉妹に大事にされていたら、それはそれでおかしいもんなあ。難しい。

 


【自分でイシュタルを名乗るユーリ】
自分で言っちゃったよ!と、思わず心でつっこんでしまって、集中が切れてしまった瞬間でした。イシュタル(=女神)って、ひとから呼ばれる事に意義があると思うのです。そもそもなぜユーリがイシュタルを知っているんだろう…という気持ちも相まって、残念だなって思いました。原作を知らないひとがどう感じたのか知りたい。

 


【カイル呼びの背景】
「カイル皇子」から「カイル」になるのが唐突な感じがして、これも勿体ないなあーって思いました。皇帝になる=名前で呼ぶ人がいなくなる。だからユーリには敬称なしで、名前で呼んでほしい。という原作のエピソードが大好きなので、カイル呼びは最後の最後でも良かったのではという気持ちがあります。

 


【黒太子の寝返り】
周りの人から一番「急だね!?」とつっこまれた部分でした。その度に「違うんだって!!黒太子が仲間になるのはちゃんと理由があってすごい胸熱展開なんだって!!!」と説明する原作ファン(笑)急に手のひら返した訳じゃないんですよ、舞台上でも「ミタンニ復興を援助し、マッティワザを味方に〜」と言っているけれど、そもそもミタンニが戦争に負けてボロボロという背景がわからなかった方が多かったみたいでした。東京版では少しわかりやすくなってよかったと思いました。

 


****


このような感じで、ほんとうに、あと少しずつ足したり引いたりしてくれたら嬉しかったなーっていうのが素直な感想です。
作品の雰囲気、それぞれのキャラも、楽曲も、お話も、ぜんぶ最高なのに、細かいところで大きく損をしている感じがほんとーーに勿体無いよーーっっ

 


観客は、多くの場合、「嬉しかった部分」よりも、「不満に思った部分」の方が何倍も強く印象に残りやすいのではないかと思います。それで大きく大きく損をしてしまっているように思えてならないのです。

 


たぶん、小柳先生は原作をとても大切にしてくださっていて、キャラをあまりタカラヅカナイズしないでくださったんだと思います。
出来るだけ、原作のキャラ設定に寄せてくださった感じがとてもします。そして少なくとも私は、それが嬉しかったです。
でも、それをするにはあまりに尺が足りないんだと思います。お話の辻褄を合わせようと思ったら、キャラを犠牲(というと言葉は悪いけど…)にしないといけなかったのかもしれません。例えばぜんぜん違う理由でイヤリングを渡す黒太子。例えば普通に裏切るシュバスとゾラ。例えばカイル呼びしないユーリ。ですが、そうすれば辻褄は合うけれど、原作ファンとしてはやっぱりちょっと寂しいとも思うのです。私も正確がわからなく、大変に難しいです。


時間や構成、配役の、宝塚的制約がある中で、可能な限りの原作感を目指してくれたんだと思います。そうして生まれてしまったのが、各所の違和感と説明不足。

 


あとちょっとで、劇的に面白い作品になったのでは、という気持ちが拭えなくて、なんだか悔しい。悔しいです。

 


それでも、この舞台に出会えて良かったと心から思います。
大好きな作品を舞台化してくれたのが、大好きな宙組で、
そして私が宝塚に自由に通えるこのタイミングで観させていただけて、本当に良かったです。
数年前だったら私は宝塚を知らなかったし、未来はわからない。観たくて仕方ないのに観られなかったかもしれない。
この奇跡に、そして全力で舞台を作り上げてくださっている皆さまに、ただただ感謝です。

 


史上最長の感想になってしまった。
原作ファンであり宙組ファンである私の、雑多な視点に付き合っていただいて、ありがとうございました。

ミュージカル『少女革命ウテナ』感想

※2018年3月のEvernote記事より移行

 

かしらかしら、ご存知かしら?

 


シブゲキにて、ミュージカル『少女革命ウテナ』を観てきました!
とてもとても楽しくて、興奮冷めやまぬうちにと思って感想ぽちぽち。以下、ネタバレを含むのでこれから観る予定の方はご注意を。

 


私は原作アニメのファンなのですが、正直言うと最初はすこし不安というか、大丈夫かな…みたいな、好きなものが2.5次化するとき特有のビクビク感がありました。「世界観を壊されたら…」「全然違う話かも…」「歌とか基本的なとこが辛かったらどうしよう…」等々、今思うとかなり失礼なことを心配していました。

 


めちゃめちゃ楽しかったです!!!すいませんでした!!!!

 


まず。入場して最初に目に入ったのが舞台のセット。四隅に!薔薇が!!各話タイトルのアレだ!!!この時点でテンション爆上げです\(^o^)/しかもこの薔薇、ちゃんとライトで回してくれるんですよ!!!完璧だわ。


そして幕が開いたら…か、影絵少女だあああ!!!影絵少女が観劇マナー教えてくれてるー!!!声かんわいい!!!てなって。


はい、もう物語始まる前に不安は吹っ飛びました。
いやほんと影絵少女すごい。まずシルエットが完璧。ちゃんとA子とB子。そしてひとつひとつのポーズがあの特有の人形感。声かわいい(二回目)。だがこちらのA子様とB子様、なんと影絵少女としてだけでなくその後もアンサンブルでほぼ出ずっぱり。


おふたりを含み、計4名のアンサンブルがいらっしゃったのですが、もうその効果が本当にすごかったです。
衣装も髪型も固定なのに、あのキャラ、このキャラに次から次へと変わっていく。そして、時には決闘場への扉になり。時には散る薔薇になり。なんてこった。演出がぜんぶアナログで、だからこそ伝わる熱があると思いました。アンサンブルさん達を組み合わせた演出の数々、これが無かったら正直ここまでアツく感動しなかったと思う。


これだけの演出を考えられた吉谷さんと、あらゆるモノ・キャラに展開されたアンサンブルさん達と、そう見えるよう演じて効果を成り立たせたキャストの皆様、私達を世界に入り込ませて下さったスタッフの方々に、心から拍手を送りたいです。これが一番の感想です。

 

 


以下、細かくつらつら。台詞はニュアンスです。

 


◎影絵少女の髪型がとにかくツボ!めっちゃかわいい。アホ毛。リボン。


◎若葉ちゃんのかわいさにも圧倒された。
あの難しい制服を綺麗に着こなしていた。


◎全キャラクターのシルエットが理想的で大歓喜


ウテナ様の声がカッコよくてでも女の子で、胸キュン。


◎アンシーの雰囲気はアニメ9割、劇場版1割、という風に感じた。


◎若葉ちゃんのラブレターソングの歌詞が原作通りでは!?懐かしい!!


◎絶対!運命!黙示録!!
鳥肌立った…


七実様がマジ七実様。エアギター最高です。
両手に木の枝を持って古典的にコソコソしてたの愛しい。
カーテンコールのおじぎの足クロスが麗しい。
まさか七実様に拍手を煽っていただける日がくるなんて…。取り巻きになりたい。


◎ミッキーのストップウォッチに新解釈ww


◎樹璃様のスタイルの良さにときめく。ヒール履いてないのに足が長くて、背中のシルエットも綺麗…。椅子の上に立ってる時、肘に添えた手が美しかった。(細かい)


◎幹編と樹璃編を同時進行するという神演出。


◎「奇跡を信じて、想いは届くと」「こんな私を、貴方はきっと憎んでいますよね」何度も繰り返されたこの台詞。そして最後の「憎んでいる。私の気持ちに気付きもしないのだから」。グッときた。
樹璃編は自分の中ですごく大切なので、丁寧に描写してくれてとても嬉しかった。


◎樹璃編中、ふとアンサンブルのおひとりが場面に加わった時、瞬時に「あ…瑠果だ」ってわかった。それがすごく印象に残ってる。なんでわかるんだろう、樹璃様との雰囲気とかなのかな。本当にすごい。


◎瑠果、枝織、梢の名前が出ないところが何だか良かった。説明ぽくならなくて。


◎「棺の中の少女」で人形を次から次へと渡していく演出、上手く言葉に出来ないんだけど、ウテナの本質な感じがした。


◎「棺の中の少女」もあんなに丁寧にやってくれると思わなかった。あれがないと西園寺と冬芽とウテナの関係性がまるきり変わるから嬉しかった。「開けないで。」


◎西園寺のバランスが完璧だった。ピエロで、でもカッコよくて、冬芽に勝てない、アンシーを歪に愛している、下衆なのに純粋なあの西園寺センパイだった。


◎カレー作ろうとし始めたから入れ替わったらどうしようかと思ったw
こういう一見なんでもないコメディパートが後々のシリアス展開に効いてくる感じ、ウテナらしくて好きです。


◎リアル「お茶吹いたw」をやって下さるウテナ様。めっちゃ上手に吹いてたww


◎冬芽様の胸から飛び出しそうになる薔薇。それを直す仕草が自然でカッコよかった。効果音でいうと「キュッ」。


◎制服ウテナと若葉のやりとり、涙出た。


◎決闘が終わるたび舞台に増えていく薔薇の花びらを、お掃除しないまま最後までいくの良かった。西園寺、幹、樹璃、ウテナ、冬芽、それぞれみんな戦ったものがあって、場面が変わったら終わるものではない感じというか。


◎冬芽様はどちらのコンタクトをお使いなのかな。


◎アドリブ力の高い西園寺センパイw改札でブロックされる動きがリアルすぎて吹いたww


◎楽曲も好きだった。オリジナル曲覚えたい。


◎影絵少女がちゃんと飛び立ったぞ、ほんと芸がこまかいな!!

 

 


まだまだたくさん原作ファンとして嬉しい台詞や歌詞や描写があって語りつくせないです。もう一回観たい。
ちゃんと原作を、そして原作のファンを大事にしてくれた嬉しさがとにかく大きいです。平たく言うと「解釈違いがない」。
大人事情を感じる部分とか、演出家さんのドヤ感とか、そういうのもなくて、客席と真摯に向き合って下さったんだという事がとても伝わるアツい舞台でした。


本当に、あらゆるエピソードが上手に入れ込まれていました。そしてポップなコメディとゴシックなシリアスを行き来する世界観。素晴らしかったのひとことです。


ノンストップで、全員がほぼ出ずっぱりの舞台はとても見応えがありました。メリハリがしっかりしてて、集中が途切れる事なく観続けられました。


「もっと大きい劇場で再演して欲しい」とは今回お誘いくださったお友達のSさんのお言葉。本当にそう思います。


あーー久しぶりに良い2.5次を観ました!!!
もう一回観たい!!!!観られるかな!!?
ほんと、たのしかったー!!!!


世界を革命する力を!!!!!